逍遥録 -衒学城奇譚- -3ページ目

考古学蔵書の国外寄贈問題について

『考古学蔵書 英寄贈を凍結』


日本考古学協会(東京、菊池徹夫会長)が所蔵している遺跡発掘報告書など約5万6千冊の蔵書が英国の研究所に一括寄贈されることになった問題で、協会は16日、兵庫県明石市内で臨時総会を開き、会員に賛否を聞くために投票した結果、反対が上回り、寄贈がいったん凍結されることが決まった。今後、協会員以外の第三者を含めた特別委員会を設けて対応を検討する。

 総会では「発掘報告書は失われた遺跡の貴重な記録。知的財産の海外放出は許されない」など会員から反対の声が相次ぎ、投票の結果、賛成922、反対1111となった。

 協会関係者によると、すでに英国のセインズベリー日本芸術研究所に蔵書を寄贈する覚書を今年3月に交わしているが、いったん白紙に戻す可能性もあるという。


産経新聞 10月16日(土)15時9分配信

* * *


ちょっと前の記事だけどね。

コレ、どーゆーコトかと云うと、「日本考古学協会」って協会があってね、ソコに全国から研究書や紀要なんかが寄贈されてきたんですよね、何十年も。

先日まで千葉の市川考古博物館に寄託して、閲覧も可能な状況なんですが、その数があまり膨大になってしまって、これ以上の保管は不可能になってしまったらしい。

そこで一括で保管してくれる寄贈先を公募し、その結果応募してきた英国のセインズベリー日本芸術研究所への寄贈が決定したのです。

今年の3月には協会と研究所との間で、覚書もすでにかわされています。

ところが、海外への資料の流出を危惧した会員が、この決定について異議を申し立て、今月に急遽臨時総会が開かれたワケです。


結果は記事のとおり反対多数となりました。


この問題でやはりひっかかるのは、やはり資料が海外へ流出してしまうコトでしょう。

そうなった場合、公開はまず不可能でしょう。

もちろん研究所でも目録を作成して、公開をする予定ですが(資料のデジタル化も検討されてはいますが……)、やはり海外に存在するのであれば、利用は現実的ではないですね。

海外への寄贈というコトは、協会にとっても苦渋の選択だったと思いますし、実際数十年もの間議論されてきたようです。

国内での保管は、これ以上コストとスペェスの関係で不可能です。

その上での結論ですが、それが「海外へはちょっと……」っていう一時的な情緒でくつがえされるのも、おかしなハナシだとも、理解はできます。

受け入れ先のセインズベリー日本芸術研究所も、日本とは縁の深い機関のようです。

ただ万が一でもその研究所の運営が立ちいかなくなった場合、その資料はどうなるのか?

国内ならまだしも、英国で散逸を免れるコトはおそらく不可能でしょう。


一応、ボクも投票しました。

「反対」ってね。

理由としては海外へ資料が行ってしまえば、文化財資料としての公開の役割を果たすコトができないと考えたからです。

いったん決めておいて、反対に投票すんなよって云われるかもしれませんが、自分が入会したころは、ちょうどこの件については方向性が決まってたようで、実際のトコロ、反対するヒトが異議を申し立てるまでは知らなかったぐらいです(言い訳、言い訳)。


ならばどうする?

しかも覚書までかわしてるんだよなぁ……

……さぁ、どうすべ?

確かに代替案は、すぐには思いつかない。

だけどこれらの研究書や報告書は、数十年にわたって日本の研究者や行政の専門家の努力の結晶です(←いやもうホント、みんな命けずってるんよ)。

今はもう記録の中にしかない、貴重な文化遺産です。

何とか最良な方法で、解決できないものかと思うのです。

ジェラルド・カーシュ著 『犯罪王カームジン』

>そびえるような胸と測定不能の太鼓腹。

>ごついいがぐり頭、でかい赤ら顔。

>白い眉毛はぼさぼさで、どんよりとした黄ばんだ眼は小ぶりなプラムほどもある。

>鼻の下には煙草の煙で薄茶色に焼けたニーチェ風の大仰な髭が冬ごもりのリスそっくりにうずくまって口まで覆い、呼吸のたびにいきているみたいにもぞもぞ動く。


本文中でこのように風貌を評されたカームジンなる人物。

本人は偉大な犯罪王と称しているが、彼が語る犯罪譚はあまりに荒唐無稽で、もしも真実ならまさしく犯罪王だが、嘘っぱちならば史上まれにみる大ぼら吹きだ。


* * *


作者のカーシュ(?)が、カームジンのかつての犯罪譚を聞きとるのだけど、半信半疑、ホントかどうかまるで信用できない内容ばかり。

詐欺にペテン、銀行強盗からゆすり、たかり。

同業者からちょろまかしたかと思えば、昔馴染みのためにちょっとしたペテンをしかけたりもする。

あげくのはてには、英国王室の王冠もいただいてしまう。

尾羽打ち枯らしたような姿からは、想像もつかない大活躍だ。

そんだけすごい犯罪者だったんなら、カフェで砂糖をこっそり持って帰るなんてセコイまねしなくてもよさそうなものなのに、とかはツッコまない。


問答無用のおもしろさである。

もちろん荒唐無稽で、あきらかにムチャだろうってハナシもあるけれど、ホントにおもしろい小説ってな、そんなコトを感じさせない勢いがある。

それは何より、カームジンという人物の魅力にある。

流儀は徒党を組むでもなく暴力を使うでもなく、常にアタマで勝負。

犯罪者だが、馴染みの相手のために働いてやるなど、美学にもこだわる。

犯罪王などと威張っているが、他人からホラ吹きだと云われたら、ムキになってしまう。

ガキなんだよね。

そんなガキが、いかんなく才能を発揮したのが、犯罪って分野なワケよ。

ひょっとしたら妄想?

そう思わせるほどに。

うん、まさしくウソかホントか、信じるも信じないも読む者次第。

だから副題も「あるいは世界一の大ぼら吹き」。


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評価:★★★★★


文句ナシの5つ星。

ウッドハウスなんかもそうだけど、英国ってな、時々こーゆー怪物じみた、とてつもなくおもしろい小説を書く作家が出現する。

小山 正編 『バカミスじゃない!? 史上空前のバカミス・アンソロジー』

麗しきバカミスのアンソロジィ。

読んで泣け。


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辻 眞先「長編 異界活人事件」


フグの毒にあたった教授とその愛人。

死んだ先で、自分たちが作家辻 眞先の創りだした作中人物であるコトを知り、彼を殺そうとするオタクを止めようとする。


まずは我が国のミステリ界の重鎮辻 眞先であるが、自分的にはシナリオ作家って印象が強いんですよね。

だから書庫にも、このヒトの作品は確か1冊ぐらいしかないはず。

相変わらずハズされたような内容、あははは。


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山口雅也「半熟卵(ソフトボイルド)にしてくれと探偵(ディック)は言った」


大富豪令嬢の行方を捜す探偵。

娼婦サラの助けをかりて、その所在をつきとめるが……


実に山口雅也的なハナシだけど、ややバカミスとは云いがたいのではないかと思う。

『生ける屍の死』とかの方が、むしろバカミスではないだろうか……?

う~ん、コレは立派なミステリっつーかハァドボイルドだよなぁ?

探偵が○○ってだけで、ソッチ方面って云うのはどうかと思うよ。


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北原尚彦「三人の剥製」


シャーロック・ホームズが依頼を受けた、名門大学ラグビィチィムの名プレイヤの殺害事件。

ワトスンとともにホームズが大学を訪れた時、すでに第二の殺人が発生していた。

剥製に飾られた遺体の謎を、ホームズは喝破する。


……コレもホームズのパスティシュもので、充分通用すんじゃね?

あえてバカミスって云う必要、あんの?

随所で作者のイタズラが光る、オタク心で書かれたカンジ。


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かくたたかひろ「警部補・山倉浩一 あれだけの事件簿」


警部補山倉浩一が活躍しない2編。


素晴らしいの一言!

掌編だけど、まさしくバカミスである。


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戸梶圭太「悪事の清算」


写真小説。

そんだけ。

この作者、好きじゃないからどーでもよい。


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船越百恵「乙女的困惑」


連続する現金強奪事件を追う刑事。

そして、陰部から瓶がとれなくなってしまった老人に遭遇する女子高生茅乃。

両者が錯綜する時、事件は劇的な終局をみる(笑)!


コレもよい。

バカミスのフリをしているが、ちゃんとトリックあるし。

だから決してアホらしいで終わらない。


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烏飼否宇「失敗作」


バカミスの書評家が殺害された。

しかし不思議なコトに、評価されたはずの作品は存在しない。

一体なぜ……?


殺人者の心情が、何となくわかる。

こーゆー殺害動機でやってくれると、シビれてしまうのだ。


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鯨 統一郎「大行進」


……えっと……いっぱいいっぱい探偵が出てきます。

そんでもってぐだぐだハナシをしながら行進します……?


この作者も、自分的には微妙。

このハナシにしても、微妙……

そもそもこーゆー内省的な自己撞着が、えー歳こいたオトナに必要なのか?

世界中の探偵たちを引っ張り出してまでやるコトなのか……?

ま、だからバカミスなのかもしれないけど……やっぱりバカミスってカテゴリに入るのか、コレ?


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霞 流一「BAKABAKAします」


世捨て人のように暮らす伯父の家を訪れた主人公。

ソコには何人かの先客がいた。

そしてその夜、伯父が殺害されるが、伯父には隠された過去があった……


わりかしメジャらしいけど、実はこの作者、読んだコトない。

なかなか、バカミスの大家らしいけど、この作品もやっぱり、う~ん微妙。


* * *


いや~あらためてまとめてみると、意外にバカミスと云ってよいのか……?って作品が多かったですね。

読んで泣けって云ったけど、泣けんわこりゃ、ごめん。


この中では、かくたたかひろと船越百恵がダントツでよかったですね。

その次は烏飼否宇と辻 眞先。

後は、正直微妙。

バカミスって云うからには、もうちょっと突き抜けてもらった方がよかった。

ジャンルは違うが、バカSFを書く火浦 攻(梶尾真治も昔の作品はすごかった)や、いしかわじゅんなんかが書くバカハァドボイルドなんぞはスゴイと思いますね。

おもしろい作品は、どちらかといえばマイナァな方に多いってのも、(いいのか、ンなコト云って……)ちと厳しいというか、さみしい。

やはりメジャだと、こーゆーバカミスは厳しいのか……

ホントは書きたくても、そんなヒマがないとか、書かせてもらえないとか、オトナの事情的に考えてしまう、根性ワルの発掘屋さんでした。

中国依存症からの脱却

尖閣諸島の漁船衝突事件についての政府の対応は、実にまったく失望している……などと書いたら、どっかのアホウどもとひとくくりにされてしまいそうで、どうにもイヤなのだが、それでもやはりガッカリである。

船長の釈放については、経済制裁や邦人が実質人質となっている状況下で、ある意味やむをえないって理性的には考える部分もあるが、感情的な部分ではムカつく。

もはや中国の大国意識は、歯止めがきかないレベルにまできているようだ。

基本的に親中(社会主義国家と化す以前の)であるが、やはりこーゆーコトは納得いかない。

ボクのような人間すら呆れさせてどうする、中国や。

おそらく多くの日本人にとって、これからまた仲良くやっていこうって感情にはなれないだろう。

すんげぇ譲歩して、釈放まではよいにしても、謝罪と賠償を……などと云い出すとは、もはや何を考えているのかわからない。

一歩も引くな、キッパリとはねつけてもらいたいと思う。

ボクらには護るべき一線がある。


さて罵倒するだけは簡単だが、モノゴトはそんなに単純ではない。

経済制裁により日本が折れざるをえない事情が、その背後には当然ある。

現在の日本における、中国への依存の大きさだ。

食料から加工品、電化製品まで、日本人が接しているモノで、中国とは無関係なモノなど、ほとんどないだろう。

ためしに、コドモのオモチャをひっくり返してみるとよい。

おそらく「made in china」と刻まれているはずだ。

100円ショップ、外食産業、ケータイ、パソコン、それこそ日本のあらゆるモノは中国に依存しているのだ。

完全に中国依存症だよ。

そんな中で、今日本というクニが、経済を武器とした中国の攻撃を受け止めきれるワケがない。

日本はとっくに、中国に首ねっこをつかまれてしまっているのだ。

おそらくほとんどの日本人は、ソレを肌で感じていたはずだ。


だけど日本人は、ソレに向き合おうとはしてこなかったのではないか?

今回の件でも、経済制裁を受けながらも、夜郎自大かつ傲慢な発言が日本のネット利用者には多かった。

それも自信満々に。

なぜだ?

答えは簡単だ。

日本人の多くは、いまだ中国を後進国というかつての印象を引きずり、そんなクニに優秀な先進国である日本が敗けるはずはないと信じたがっているからだ。

もしくは、民主党の失点を期待していたのだろう。

これまで、たとえば米軍人による事件や事故がおきても、今回のような騒動にはならなかったと思う。

怒りを表したら、むしろ「サヨク」だの「プロ市民」だのとレッテルを貼られ、しまいには「日本のために米軍は必要だ」などと、正当化しようとする感覚が大勢だったろう。

それは欧米人は戦勝国であり、彼らは自分たちより優秀なのだという、卑屈な敗け犬根性からきているのだと思う。

その半面、アジア人に対する差別意識も、はっきりと存在する。

自分たちはアジアで一番なのだ。

中国が自分たちより優れているはずはない。

ネット内での中国や韓国への異様な憎悪も、ソコからきているのだと思う。

つまり差別だ。

ホンネでは見下していたのだ。


だけど今回の件で、はっきりとわかったはずだ。

見下していたヤツらの方が、実は強かった。

今の日本は、経済力で中国に太刀打ちできないのだ。

その経済力が、様々な矛盾をはらんで危うい暴走ぎみなものだとしても、それが現実だ。

ゆえに外交で勝てるワケがない。

その状況の中で政権を罵倒したって、どうしようもないだろう。

(ココで、中国依存度を大きくしたのは誰か、などと腹立たしく思ってもしかたないが……)


さて、問題はこれからだ。

今のように中国依存度が大きいままでは、また同じコトがおきる。

民主党が下野して再び自公政権となっても、状況が変わらなければ同じだ。

いや、むしろ北朝鮮の金ナントカの件や小泉時代の件というか実績をみても、むしろはるかに媚中外交をおこなう恐れすらある(野党に、今回の件を非難する資格、あんのかねぇ?)。

中国との関係は、簡単に断絶するワケにはいかない。

専門家が語るように、その依存度を下げていき、リスクの分担をおこなう必要はあるだろう。

ヤバければ、いつでも切り離せる距離感を持つコトが肝心だと思う。

だがこれは、政府や財界などの大きな力がやるコトであって、庶民ができるレベルではない。


ならばボクらはどーする?

いつもバカにしてる政治家や官僚に、任せておけばよいのか?


ひとつ、提案がある。

ココらで自分たちの生活を見直し、中国への依存度を下げるコト、それも自分の周りでの依存度を下げるコトを考えてみてはどうだ?

たとえば……

中国産の食料品を買わない。

ケータイやパソコンを安易に買い換えない。

家電製品も買い換えない(家電芸人などもってのほか)。

外食をひかえる。

その他、中国産の製品は極力購入しない。

後は中国へ旅行しない。

などなど……

要するに、中国製品ボイコットだ。


パソコンの前でどんなに勇ましく叫んでも、何も変わらない。

ネットの中で気持ちよく中国や政権を叩いても、どんなにご大層なコトを云っても、さてコンビニで弁当でも買ってきて喰うか……では、結局意味がない。

そーゆーコトだよ。

矛盾してんだよ。

そもそもアホみたいにケータイを買い換えたりするコトが、日本でのケータイ産業を突出させ、結果的に依存度を高めてしまった面もあるのだろう?

購入する者がいるから、売る者がいる。

ほしがる者がいるから、売る者が強い。

ボクなんかに云わせると、ある意味自業自得だよ。

安きに走った自分たちも迂闊。

首ねっこつかまれるのも、当たり前。

要するに、金ならいくらでもはらう薬物中毒のようになってはいけないってコト。


ボクは自分が口にするモノは、極力国内産のモノを買う。

家電製品も少ないし、買い替えもほとんどしない。

ケータイは持っていない。

外食も、できるだけきちんとしたトコロへ行く。

そりゃ完璧ってワケにはいかないが、自分は中国依存度は、かなり低いと思う。

それでも何とか暮らしていける。

オモチャと化したケータイなど、不要だ。

食料など、購入できる分でやりくりすればよいのだ。

極貧の学生時代だってそうやってきたのだから、大概の人間には可能だ。

やれば何とかなる。

まずはできるトコロからだ。


もちろんこれらに関わった産業も国内にあり、安易にそのようなコトを口にするべきではないのはわかる。

ものすごい矛盾をはらんでもいるし、立場上できない人も多いだろう。

感情的な報復になってもダメだ

ガマンが必要だし、非常に不快な気分にはなる。

だけど残念だが、今の中国はそれぐらいしなければわからないほどに、自意識が肥大化しているようだ。

乱暴かもしれないが、これも抗議手段だし、意思表示だ。

今のような身動きがとれない中国依存症からは、脱却をするべきだ。

それぐらいの意識と決意を持つべきだろう。

少なくとも、ネット上での実りのない遠吠えよりは、はるかにマシだ。

伊坂幸太郎著 『アヒルと鴨のコインロッカー』

引っ越したアパァトの隣人河崎から「本屋を襲おう」と持ちかけられた椎名。

ところが標的はたった1冊の広辞苑。

ワケもわからずにまきこまれた椎名だったが……


* * *


伊坂幸太郎の代表作です。

以前『オーデュボンの祈り』を読んだ時は、しっくりこなかったんですが、コレはよいですね。

伊坂作品には突拍子もないセリフとセンスで相手を翻弄する、ま云ってみれば非常識人がやたら物語をひっぱっていくような部分がありますが、ボクは結構コレ何だかなぁって思う。

物語とうまいコトはまればよいのですが、大抵の小説では設定のための設定で、ピントのずれただけってコトが多いんじゃないかな。

あ、伊坂作品だけにかぎらずにね。

要するにヤリすぎ。

でもこの作品については、うまくはまっている。

うん、伊坂幸太郎、ウマイね。


物語は椎名君と河崎の本屋襲撃と、2年前のとある事件が交差します。

登場人物は河崎とブータン人のドルジ、そして琴美。

ふたつの時間をつなぐのは、琴美が勤めるペットショップの店長麗子さん。

人のよい椎名君は、ドキドキしながら河崎の片棒をかつぎ、琴美は怯えながらもドルジとともに犯罪を向き合います。

やがてふたつの時間は互いに近づき、ひとつの完結をみます。

最期は悲劇?

でも涼しげ。

裁かれたのだろうか?


* * *


評価:★★★★★


よい作品。

レッサーパンダを盗むコトはステキなコトだ、きっと。

アヒルも鴨も出てはこないけどね。

北村 薫著 『ニッポン硬貨の謎』

エラリー・クイーンの未発表の原稿が発見された。

エラリーがかつて日本に来た際にかかわった、幼児連続殺害事件を描いたモノである。

偶然、第3の事件を目撃したエラリーと、案内役の小町奈々子は、これまでの事件との関連性に気がつく。

しかし、奈々子も同じころ、奇妙な謎に直面していた。

そう、ソレは50円玉20枚を千円札に両替するオトコにまつわる、世にも名高い“あの”謎である。


* * *

エラリー・クイーンの未発表の原稿が……って例のノリであるが、コレを北村薫がやったのだから、すごい。

元々、ミステリ研究者でもあった氏が、終始、日本を見るアメリカ人の視点で描き、しかも文中にクイーンの作品についての論まで堂々と展開しているのだから、実に恐れ入ったとしか云いようがありません。

それだけの文学的素養とミステリの造詣の深さがなければ、ムリなハナシでしょう。


内容としては、それほど大したものではなく、秀逸なトリックもないし、刑事の汗を流すような苦労もない。

事件における動機も、どうにも理解できない。

コレははたして、アメリカ人であるエラリーの“眼”で見た事件だからか?

虚と実。

実と虚。

彼の“眼”が見出したモノは、本当にこの事件の真相なのか……?

そう思わせてしまうのが、名手北村薫の腕なのだと思う。


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評価:★★★☆☆

だからといって、無条件でおもしろかったと云うつもりはない。

やはりついてこれるヤツだけついてこいって風だし(本人はそんな性格じゃないと思うけど)。

『銀河鉄道999』テレビ版最終回、劇場版

BSでやってた『銀河鉄道999』、本日が最終回でした。

今夜は何人かのヒトが「私のメーテル論」を語ってくれましたが(島本和彦とか!)、みんなベタ惚れではないですか。

やはりアニメを代表する女性ですな。

そして本編は、テレビ版の最終回と劇場版。

長かった鉄郎とメーテルの旅もいよいよ終わり。

鉄郎ははたして、機械の身体を手に入れるコトを選択するのか……?

あぁ……幸せな一週間だったなぁ……


テレビ版のラストで、メーテルは鉄郎に別れを告げます。

のこされた手紙には「~別の少年を未来に導きつづけます」って書かれています。

並行する銀河鉄道には、もう別の少年を連れたメーテルの姿が見える。

涙を流す鉄郎。

……だけどやがて少年は涙をぬぐいます。

やがて分岐していく2台の銀河鉄道。

鉄郎は離れていくメーテルの乗った車輌に、笑顔で手を振ります。

それは少年の日々のオワリ。

新しい旅のはじまり。


ボク「しかしメーテルがやっているのは、宇宙を股にかけた女衒行為じゃなかろうかと思うのですが」

芳乃さん「……」

ボク「しかも鉄郎と別れたとたん、もう新しいツバメをとっつかまえてる。おそろしい魔性のオンナだ」

芳乃さん「……」

ボク「少年を未来に導く。少年をオトナにする……AVだったらすなわち、ぶらり銀河系筆おろしの旅……」

芳乃さん「全電脳世界にアホを発信しないでください」

『銀河鉄道999』

BSでやっとるのを、観とります。

あのOPとかEDとか、懐かしくて涙がでそうです。

どのハナシもよすぎ。

機械の身体をのぞむ鉄郎が、銀河鉄道の旅の中で喜びや苦しみ、哀しみ、さまざまな体験をし、成長をする。

少年の成長譚って、やっぱ永遠のテェマだね。

芳乃さん、「オトナになって観ると、よさがわかる」と云ってましたが、同感。

それにしても、藤川桂介とか山浦弘靖が脚本陣……スゴすぎる。

松岡 智著 『農婦ふさ』

時代は戦前から戦後にかけて。

貧しい百姓、真吾に嫁いだふさの一代記。

農村のオンナとして、泥にまみれて働き、コドモを育て、老いていく。

単純にして、明快な人生。


* * *


ただひたすら、ふさとその家族が生きていくための苦難の歴史――と簡単に云ってしまうが、そんなありきたりの言葉ですむものではないでしょう。

ふさ自身、走った汗で汚れを流すとまで云われた、ろくに水のない地方から嫁いできて、新婚のその翌日から畑に出て、朝から晩まで、休む間もなく働かなければなりませんでした。

そんな時代であったワケですし、そうしなければ貧しい百姓なんて、生きていけなかった。

ふさと真吾の夫婦も、たくさんのコドモを育てながら必死です。

その中で智恵をしぼって、少しでも見入りの多い作物を作ったり、蚕を育ててみたり、したたかに生きていこうとします。

生きていけないから、何か別のコトをすればよいのではってのは、現代人の感覚。

大地にはりついて生きている者には、他に道はない。

苦難云々ではなく、そう生きるしかないのです。


……なんて描いてはみましたが、百姓が悲惨な運命に翻弄されてるなんて、単純に考えてはいけません。

百姓は強い、したたかです。

極貧の中、少しでも得になる方へ得になる方へ、動きます。

それもまた大地に生きる者の本能。


さてさて、物語の内容云々よりも、舞台となった時代の描写が興味深い。

書かれたのは昭和30年代。

作者自身が前文で書いているように、その当時ですら農地解放前の百姓の仕事や風習が「遠い昔のおとぎ話のようにさえ思える」と評しています。

昔を知る者が、少しでも書きのこしておかねば――そういった想いが、作者にこのハナシを書かせたものでしょうか。

これがロシアで描かれていたら、絶対革命のハナシになっていたろうな。


* * *


評価:★★★☆☆


全会話、方言。

こんなハナシを書評するヤツなんて、まず間違いなくいねぇ。

作者の松岡智は、九州の地方作家のため、おそらく知るヒトもいないでしょう。

書店では流通していないし、普通の図書館とかじゃ、おそらく置いていないでしょう。

入手すら不可能ですし、存在を知ることすらできません。

ましてや、今このようなハナシを書ける作家もいません。

こーゆーハナシは、今読んでおかないと、もう読めなくなるかもしんない。

少しずつ、こういった作者のハナシを読んでおくかなぁ。

アントニイ・バークリー著 『毒入りチョコレート事件』

場所はロンドン、時は20世紀はじめか?

犯罪に造形の深いインテリどもで結成された「犯罪研究会」に、奇妙な事件が舞いこんできた。

クラブに配達された新製品のチョコレートを食べた男爵夫人が死亡した。

チョコレートの中に毒がしこまれていたのだ。

当初は単純に解決すると思われたこの事件だが、捜査は暗礁に乗り上げる。

「犯罪研究会」のメンツは、順番にそれぞれの推理を披露することとなりますが、その披露会はやがて意外な方向へ……


* * *


各自の推理が、披露された時はいかにも正解のように思えますが、すぐ次の人物の推理により破綻してしまう……

研究会のメムバも、それぞれ腹にふくむトコロがあって、まぁちょっとあんよの引っ張り合いなんかもありまして、なかなか衒学的、隠遁者風な推理合戦ができません。

ハナシとしては、まぁおもしろいかなぁと思うのですが、いかんせん古臭いし、ご都合主義に頼り切って、ムリがありすぎる。

特に最期のどんでん返しというか、放りっぱなしのラストなんかは、ホント、「コレからどーすんの?」って云いたい。

まぁ、こーゆーツッコミたくなるようなラスト、嫌いではないけどさ。

チェスタートンとかオルツィとか、結構こんな雰囲気でさ、もうあきらかに時代遅れ(云うなよ、ソレ)。

古典として読むならよいが……


* * *


評価:★★★☆☆


いや~それでもわりかし好きなんだよな、こんなカンジ。

カーとかのばりばりの古典まではいかないが、浅漬けの古典って印象でさ(何じゃソリャ?)