逍遥録 -衒学城奇譚- -4ページ目

米澤穂信著 『秋季限定栗きんとん事件』(上)(下)

前作で別々の道をいくことに決めた小鳩君と小山内さんですが、それからふたりとも彼氏彼女ができたりなんぞしてるようです。

ところが小山内さんの彼氏が、彼女によいトコロを見せようとして、町内の放火犯を追跡しはじめ、2人はやがて対決の時をむかえます……ってハナシだっけ?


* * *


書評、すんげぇ久しぶりだべさ。

読んでないワケなかったんだけどね。

でも読んだの、少し前だったので、あんま記憶にないや。

今回はおよそ1年にわたる放火犯追跡劇を軸に展開(ソレっぽくないモエ要素、多少アリ)するので、しっかりしたカンジで展開されてます。


でもまぁ、小山内さんが○○して△△しようとした原因が□□だからってのは(ネタばれ要因につき、ソフトに伏字)、あんまりヒドイすぎである。

高校生の男子なんてよ、そりゃーもーナニがナニで、ナニのためだったら、ナニがナニであろうと、もうナニしちゃうワケよ(清純派ふぃるたぁにひっからないように、ソフトに伏字)。

だからせめてナニぐらいは大目にみてやってもよいのではないかと思うのだが、みないのが小山内さんの大変よいトコロだと思うのである。


……コレのどこが書評?


* * *


評価:★★★★☆


おもしろかった(……と記憶している)。

確実にうまくなってる米澤穂信。

そして高校生らしくない高校生を描かせたら天下一品だ。

沖縄に米軍基地はいらない

沖縄に米軍基地はいらない。

少なくとも今のようなカタチでは。

そう思う。


米軍基地を国外へ――ホンキでそう叫んだ首相は、鳩山首相が初めてだ。

にも関わらず、日本人はソレを支えなかった。

このクニが少しでもよい方向へ向かおうとするその歩みが、脚をつかまれて止められてしまった。

残念だ。

なぜだろう?

答えは簡単だ。

沖縄県人以外の日本人は、米軍基地が沖縄にあろうがどこにあろうが、別にどーでもよかったのだ。

全国知事会での対応を見てみると、一目瞭然だ。

沖縄が大変なのはわかる……“だけど”……自分たちは引き受けない。

沖縄県知事や首相が要請しても、誰ひとりとして真剣に考えようとしていない。

否、沖縄が負担すればソレで万事まるくおさまるという考えなのだ。

あの知事会は日本の縮図だった。


この問題について、日本のメディアはどれだけきちんとした報道をおこなっただろうか?

期日までに解決できなかったら責任だとか、ハトヤマが米国大統領と何分しか会談できなかったとか、そのくせ民意だの、沖縄県人の気持ちだの無神経に持ち出して、カワイソウだカワイソウだとそら涙を流しては、ただひたすら、問題を矮小化しようしか思えない報道ぶりだった。

世論調査など、大仰にやってみせて悦にいっていたが、沖縄に基地があるのは賛成か反対かとはっきり訊ねた調査があったか?

なぜ日本人が基地の問題を考えるべきだと、はっきり云わなかった?

一体どこの国の報道機関なのだ?

鳩山首相の考えが反対ならば、なぜ米軍基地は沖縄に造るべきだとはっきり云わなかった?

そんなコトをはっきり云ってしまったら、反感をかうだけだからだろ。

だから一番大事は、その部分をボカして、社会の木鐸……のフリをした。

そんな資格も理念もないくせに。

連中もまた、基地の問題なんてどうでもよかったのだろう。


鳩山首相が辺野古周辺に移転すると明言せざるをえなかったのは、日本と米国の間にはっきりと上下関係があることを示したと云ってよいと思う。

現在、日本で米軍基地の受け入れを喜ぶ地域はない。

だが日本は、辺野古周辺を受け入れざるををえなかった。

アメリカの力に屈したのだ。

コレだけ日本人が忌み嫌っているにも関わらず、アメリカは既存の案に固執した。

そりゃそうだろう。

日本はグアムへ移転するのにも、多額の費用を負担してくれる。

その上、自分たちが好きに使える基地が、費用を負担してまで造ってくれるのだから。

こんなありがたいハナシはない。

結局、アメリカも日本も、従来のカタチで生きていくのが、一番居心地がよいとみえる。

自民が政権の中心にいた時代は、その負の遺産は、どこまで日本を束縛し、未来を冒すのかね?


現在のところ、趨勢は決したように思える。

残念だ。

だが沖縄が声をあげているように、日本で基地NO!の声を高まれば、変化はおきるかもしれない。

だから、いま少し、声をあげてみようかと思う。

敵を間違えるな

劇画作者雁屋哲氏が自身のブログ『雁屋哲の美味しんぼ日記』で、沖縄基地問題について、きわめて卓見を述べている。



* * *


「敵を間違えるな」


 鳩山首相が沖縄県知事に面会して、普天間基地移転問題について、「辺野古周辺にお願いするしかなく、県外に移転すると言う公約を守れなかったことをお詫びする」と言った。
 鳩山由紀夫氏の今回の基地問題についての敗北宣言である。
「ほら、鳩山は出来なかった」と、新聞・テレビははやし立て、沖縄の人びとは「鳩山は裏切った」とか「鳩山は嘘をついた」などと言って怒っている。
 私は、鳩山由紀夫氏を支持する者ではないが、これまでの経過を冷静に見ると、当然の帰結だと思う。鳩山由紀夫氏は、公約を守ることが出来なかったのは事実だが、一体今の鳩山由紀夫氏のような立場におかれて公約を守ることの出来る政治家がいるだろうか。
 鳩山由紀夫氏が公約を守ることが出来なかったのは、氏個人だけの責任ではない。
 我々日本人全体の責任だ。(戦後の「一億層懺悔」の真似をしようと言うのではない)

 私の考えをまとめよう。

 

     
  1. 鳩山由紀夫氏はアメリカに負けた。

     

  2. 基地問題に於いて、日本人が戦うべき相手はアメリカである。
    アメリカと戦おうとしている鳩山由紀夫氏の足を掬い背中から攻撃をする。
    日本人は、自分たちの敵を間違えている。
    敵は鳩山由紀夫氏ではない。アメリカだ。
    鳩山由紀夫氏が戦後の日本の首相として初めてアメリカと戦おうとしているのに、日本人は一致協力するどころか、鳩山氏の足を引っ張った。

     

  3. 日本人は、アメリカの基地問題に本気で取り組む気概を失っている。沖縄県人の苦しみを、他県の人間は自分の物とせず、他人事のように思っている。

 まず、1)について。

 朝日新聞社のAERAの5月24日号に、内田樹氏が、
「『無法を止める』から始める基地問題」
 と題して次のように書いているので、引用させて頂く。

「沖縄米軍基地について、日本政府は過去65年にわたって『東アジアの地政学的安定のために不可欠』だという説明を繰返して、沖縄の人々に非道な犠牲を強いてきた。ここに貫かれているのは『属国は宗主国の要求がどれほど無法でも受け容れるしかない』というワイルドなルールであり、アメリカ・日本・沖縄は立場を入れ替えながら、同じ図式を反復してきた。
(途中要約〈冷戦は終わり、アメリカはかげりが見え、東アジアに基地はもう要らないという声がアメリカ国内にもあり、フィリピンのクラーク基地、スービック基地から撤退し、韓国内の基地の劇的な縮小を決めた〉)
 その中にあって、日本についてだけアメリカが基地撤去を受け容れないのは、東アジア唯一の敗戦国に対しては『無法が通る』と思っているからである。
(途中要約〈それと同じように、日本政府が沖縄県民に犠牲を強いているのは、沖縄には『無法が通る』と思っているからである〉)
 日本政府はまずおのれの『無法を止める』ところから始めるしかないだろう。
 そのときはじめてアメリカに対して『無法を要求するな』という『倫理的』権利を手にすることができると私は思う。」

 氏は、これまで日本政府は「属国は宗主国の要求がどれほど無法でも受け容れるしかない」という「ワイルドなルール」に従って、沖縄の人々に非道な犠牲を強いてきた、と言っている。
 正にその通りで、この65年間日本政府は沖縄の基地問題に限らずアメリカに奴隷のごとく仕えてきた。
「ワイルドなルール」を押しつけてきたのは沖縄の基地問題でけではない。
 アメリカは、日本のすることなす事全てに、「ワイルドなルール」に従うように強要してきた。
 それを示す物が、「年次改革要望書」であり、「思いやり予算」である。
 この、過去の日本政府が積み上げてきた、属国としての奴隷的政策を理解しないと、沖縄基地問題を解決出来ない。

 ◎「年次改革要望書」とは、アメリカが日本の産業、法制度、などについてその要求事項を日本政府に毎年送りつけ来る通達書である。
 それがどのような範囲に及ぶかというと、
 通信、情報技術、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、商法および司法制度改革、透明性、その他の政府慣行、民営化、流通、なんと、日本の社会の重要な分野全てに及んでいる。
(2008年度の要望書は、アメリカ大使館のホームページに掲載されている。

 http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-regref20081015.pdf

 2004年度の要望書は、アメリカ大使館のホームページに掲載されている

 http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html

これは、要望などと言う生やさしい物ではない。
日本に対して、「こうしろ」という命令書である。
この要望通りに事が進んでいるか、日米の担当官が定期的に会合を持って点検する。
アメリカの通商代表部は日本政府に圧力をかけて、要望書通りの実行を求めるのだ。

どんな要望をしているか、その一例を挙げる。

「農業に関連する慣行:有機農産物輸入、安全な食品添加物、収穫前・収穫後農薬の検査制度に関してCODEX基準に準拠する。最大残留農薬基準に関して、できる限り貿易を制限することがない効果的な輸入措置を取る。

(CODEXとは、独立行政法人・農林水産消費安全技術センターによれば、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機構)が合同で、消費者の健康保護や公正な食品貿易の確保を目的に作る食品規格のこと)

これを読んで、私は、腹の底から怒りがこみ上げてきた。
我々日本人が、自分たちの健康を守るために、自分たちの決めた安全基準を決めるのは当然のことだろう。
それを、こんなことをどうしてアメリカに指図されなければならないのだ。
一番の問題点は、「最大残留農薬基準に関して、できる限り貿易を制限することがない効果的な輸入措置を取る。」というところだ。
これは、言い換えれば、「アメリカの農産物の残留農薬について、うるさいことを言わずに輸入しろ」、と言うことだ。

日本は、アメリカから大量の食料を輸入している。
大豆は日本人の食卓に欠かせない物だが、その大豆の自給率は5パーセントでしかなく、74パーセント以上はアメリカから輸入している。
大豆、小麦、などは栽培中は勿論、収穫した後も虫食いなどを防ぐために収穫後(ポストハーベスト)に農薬を使う。
その農薬残留基準を高くすると、大豆を始め、アメリカの農産物の日本に対する輸出が不利になるから、そんなことはするなと言うのである。
そんなことは余計なお世話、と言うより悪質な内政干渉だ。
自分たちの食べ物の安全性は、自分たちで判断して決める。
どんな基準であろうと、それに従えと、アメリカに言われる筋合いはない。
アメリカは日本人の健康などどうでも良い。自分たちの農産物が沢山日本に売れれは良いのであって、その邪魔になるような残留農薬基準などアメリカに都合の良い数値にしておけ、と言うことである。

小泉首相は「改革、改革」と言いつのった。
その「改革は」はアメリカにせかされた改革だった。
郵政民営化も、小泉は最初郵貯の民営化だけを言っていたが、アメリカの要望書に従って簡保が柱となり、結局4分割された。
「法科大学」が作られたのも、アメリカの要望書に従った物である。
念のために言っておくが、この「年次改革要望書」はアメリカの利益になるように日本を改革しろと言う命令書なのだ。
日本のための改革ではないのである。
こう言う書類を受けとると言うだけで、日本政府は、自尊心も何も無い人間達の集まりであることを示している。
それも、毎年受取るとは、情けない。日本政府はどこの国の国民のための政府なのか。
日本の官僚はアメリカの要望書の命令を達成するために働いているような物だ。

こんな日本を独立国だと言えるか。
なぜ、アメリカが、こんな自国に都合の良い「改革要望書」を日本に突きつける権利があり、なぜ、日本政府は「改革要望書」を押し頂き、アメリカの意のままに自国の政治を運営するのか。
これほど惨めで無残な二国間関係は、昔の植民地でしか見られなかったことだ。
日本は、何から何まで、アメリカの指図通りに動かなければならない、と歴代自民党政府が決めてきたのだ。
歴代自民党政府は、文字どおりの売国奴、腰抜けの売国奴共の集団だった。
65年間、そんな関係を続けてきたから、アメリカにすこしでも、逆らうと、手ひどい目に遭う。
小泉はアメリカに行って、ブッシュの前で、自分がアメリカの忠犬であることを示すためにプレスリーの真似をして馬鹿をさらしたが、その馬鹿さ加減がブッシュを安心させて、大変ブッシュの覚えが目出度かった。

ところが、鳩山由紀夫氏が少しでもアメリ基地に異論を申し立てると、TIME、ワシントンポスト、などを動員してて鳩山をアホだの、馬鹿だのと罵る。
挙げ句は、シャツの趣味が悪いと、人格を貶めるような誹謗を尽くす。
(それに乗って、自民党の女性代議士が議場で、鳩山由紀夫氏にそのシャツの件でヤジを飛ばした。その女性議員はアメリカから、ういやつ、とおぼえが目出度くなるだろう。アメリカの奴隷試験に合格したのだ。おめでとう)
日本人の大半は、このアメリカが毎年通達してくる「年次改革要望書」の事を知らない。
小泉と竹中という2人の売国奴が騒ぎたてた、「改革」とは、アメリカの「年次改革要望書」通りに日本の姿を変えることだったのだ。

一度、私が上に挙げた、アメリカ大使館のホームページで、その「年次改革要望書」を読んで貰いたい。
これで、髪の毛が逆立たず、血も逆流するような感じを抱かなかったとしたら、貴方も既に立派なアメリカの奴隷ですよ。
この「年次要望改革書」は内政干渉どころではない。
まさに、宗主国が属国に下す命令である。

こう言う関係が、65年続いているのだ。
それに、唯々諾々と従ってきた自民党政府がいなくなったからと言って、アメリカが急に態度を変える訳がないだろう。
鳩山由紀夫氏が何を言おうと、馬耳東風。
真面目になって言い続けると、突然兇悪な顔になって、脅迫的言辞をちらつかせれば、鳩山由紀夫氏も心がくじける。
それも、国民全員が、鳩山由紀夫氏を支持してくれるなら、がんばれるが、新聞、テレビで毎日のように、「宇宙人だ」とか、「信用できない」などと言われ続けられればとても、強力なアメリカ相手に戦う力が湧いてこない。
鳩山由紀夫氏自身、母親から貰った献金の処理がまずかったと言う愚劣さはあるが、そんなことは、「賢明なる検察官諸君」は何年も前から摑んでいるはずであり、それならその時に、問題にすればよかったのに、鳩山由紀夫氏が首相になった途端に動き出して調査に入り、捜査の過程を如何にも犯罪が犯されたかのように連日リークし、それに合わせてマスコミが、鳩山由紀夫氏が大罪を犯した大悪人であるかのように騒ぎまくって、国民感情を扇動した。
国民も簡単に扇動に乗って、世間全体が「献金問題、献金問題、献金問題」と騒ぎ、「あんな途方もない金持ちに庶民の心など分かるはずはない」というやっかみも加わり、鳩山由紀夫氏に対する支持率が極端に低下した。

これでは、手足を縛られて、ボクシングをしろと言われているような物で、何も出来ない。
さらに、マスコミは「鳩山由紀夫氏は普天間問題を解決出来ない」「鳩山由紀夫氏にその能力はない」などと書き立てた。片言隻句をとらえて「鳩山迷走」とか「閣内にも鳩山不信感」などと責め続けた。
これでは、鳩山由紀夫氏が動けなくなるのは当然だ。
あの状況で、どう動けばよいのか。
普天間基地移設問題で、反対運動をしていた人達の多くも、鳩山由紀夫氏の献金問題で、検察のリークの通りに動かされているのではないか。

もう一つ、日本が情けない属国であることを示すのが「思いやり予算である」
日本人の大半は、この「思いやり予算」などと言う言葉を知らないか、知っていても関心を払わない。日本人全体に、奴隷根性がしみこんでいるのだ。
今この文章を読んでいる貴方。私は貴方のことを言っているんですよ。
他人事のように読まないでね。

◎「思いやり予算」とは1978年、円高ドル安に配慮して、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部負担(62億円)を日本政府が決めたのが始まりで、その後、米国側の要求で、基地内の光熱費、水道費、施設建設費、さらには米兵のリクリエーション施設の経費などの厚生費まで範囲が広がり、金額も上昇した。

 2010年4月7日のNHKの「ニュース9」によると、1978年から2010年までの32年間で、総額5兆5千億円に達する、というからすごい。
なぜ、「思いやり予算」などという訳の分からない名前がついたかというと、1978当時の金丸防衛長官が「思いやりの精神で米軍駐留軍の負担増に応じる」と述べた事による。
これは、全く奇怪である。
沖縄に駐屯しているのはアメリカの海兵隊である。
元朝日新聞社会部記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次によると、いざ戦争などが起こった時に、海兵隊の取る行動の優先順位は次のようになっていると言う。

  1. 自国民(米国人)の救出・保護
  2. アメリカの永住権であるグリーンカードを持つ人の救出・保護

     

  3. 友国であるカナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの人の保護。

     

  4. その他の人

 この、4番目のその他の人の中に、日本人が入っているらしい。
 いずれにしても、沖縄にいる海兵隊は、沖縄県の人間を助けるにしても、まず、自国、友国(アングロサクソンの国)のあと、余裕があればと言う程度である。
 元防衛大臣の石破自民党政調会長も優先順位の1位が在留米国人であることを認めており、日本人はせいぜい「在留米人を救出した後、空席があればついでに助けてもらえる」程度なのだといっているそうだ。
 こういう、日本人のことなど考えていない海兵隊が、何か事があった時に日本を助けてくれるとはとても信じがたい。こう言う軍隊に、何を思い遣ってやる必要があるのだろう。
 お人好しというか、奴隷根性もいい加減にして貰いたい。

「思いやり予算」の内容を、日本共産党の「しんぶん赤旗」が詳しく調べている。
(私は日本共産党とは意見を異にするし、彼らの政治論など受け付けられないが、彼らは他のマスコミが調べないようなこともきちんと調べているので信用できる部分もある。)

 以下が、その「しんぶん赤旗」、2005年5月19付けの紙面である。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-10/03_01_0.html

 2010年4月7日のNHKの「ニュース9」の「思いやり予算」についての部分はYouTubeでみられる。

 http://www.youtube.com/watch?v=PzLPhuzMtEQ

これは、是非見て貰いたい。
アメリカ側の勝手な言い分。贅沢な施設。横須賀基地で日本の税金で働いている多くの日本人技術者たち。そんな姿を実際に見ると、日本人として生きているのがいやになる。
(「しんぶん赤旗」は1979年から「思いやり予算」で使った金額を2兆円と書いているが、それは、住宅建設に限定された金額ではないか。
「ニュース9」の番組中で示された、5兆5千億円超という数字が、正しいと思う。NHKの計算は、赤旗よりも詳しい。)

この「思いやり予算」ほど、これまでの自民党政府がどんなに腰抜けで、アメリカの言うがままに、アメリカに尽くしてきたか、物語るものはない。
アメリカは、日本がアメリカに、金を貢ぎ、アメリカの基地を維持するのに日本人の税金を費やすのが当然と思っている。

 ここでまた、「しんぶん赤旗」にお世話になる。
 2010年3月19日の「しんぶん赤旗」に次のような記事が載っている。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-19/2010031902_03_1.html

「恩恵」と来たよ。途方もないことを言う物だ。居直り強盗、とはこのことだ。
 NHKの番組の中でも、米軍関係者が「日本のGDPからすれば、大した金額ではない」といっている。
 贅沢なジムなどの施設について「娯楽と思われかも知れないが、米軍兵士の士気を高めるのに必要だ」という内容のことを言っていた。自分たちの兵士の士気を高めるのは、自分たちの金でやれよ。自分たちの軍隊なんだろう。
 あの兵士たちは、イラクやアフガニスタンで無差別市民殺戮を繰り広げている連中ではないか。
 どうして、そんな残虐かつ非人道的な兵士たちの士気を我々日本人が高めてやらなければならないのだ。
 フィリピンのクラーク基地、スービック基地から撤退し、韓国の基地も縮小したのに、米軍が日本から基地を撤退しないのは、この「思いやり予算」の存在が大きい。
 アメリカは、おかげで大変に安い費用で基地を維持できる。
 5兆5千億円も払ってくれる国がどこにあるか。
 グアムに移すとなると、全て自前で基地を維持しなければならない。
 勘定高いアメリカ人が、そんなことをする訳がない。
 アメリカが、日本から基地を撤退する訳がない。
 したがって、今の日米の力関係、歴史的に自民党政府が行ってきた屈辱的な隷属政策からして、沖縄から米軍が基地を撤退したり移転する訳がない。

「年次改革要望書」で、日本政府は自国の政策をアメリカに決められ、「思いやり予算」でアメリカに徹底的に貢ぐ事を続けて来た。
 アメリカは、その「思いやり予算」はもう当然の権利だと思っている。
 そんな状況で、鳩山由紀夫氏が普天間基地の県外移転を言い出しただけで、今までの状況をひっくり返す衝撃があったのだ。

 鳩山由紀夫氏の公約を、「人気取りだとか」言う人が多い。
 実際に、挫折したことをあざける人も多い。
 しかし、これまで、歴代の自民党政府はアメリカと交渉することさえせず、県外移転を言葉に出すことさえしなかった。
 鳩山由紀夫氏は結局アメリカに負けたが、とにかく日本の歴代の首相として初めて沖縄基地に対してアメリカの意に反することを言った。

 一体、誰が鳩山由紀夫氏をあざけることが出来るのか。
 韓国の米軍基地が大幅に縮小されたのは韓国人が全体となって、基地反対運動を続けたからだ。
 日本人はどうか。
 韓国人の根性のひとかけらも持ち合わせていない。
 原子力空母が横須賀を母港にしているのに、反対する人々はいない。(ごくたまに、ほんの少数の人々が反対表明をするだけである)
 横須賀の基地は、東京のすぐそばにある。首都のすぐ近くに米軍基地があっても、何も感じない日本人は、性根を抜かれてしまっているのだ。
 鳩山由紀夫氏が「米軍基地の県外移転」を言い出した時、日本人全体は本当に愛国心があるなら、米軍基地問題を真剣に考えるだけの根性があるなら、鳩山由紀夫氏に協力するべきだったのだ。(母親から貰った金の処分の方法は確かにまずかった。それに対する弁明も、愚かだった。しかし、汚職で貯めた訳ではない。沖縄の基地問題と比べて、どちらが重いのか)
 それを、結局不起訴にしかならなかった問題で大騒ぎして、鳩山由紀夫氏を大悪人に仕立て上げ、折角米軍基地に日本人全体が反対して撤去・移転させる良い機会だったのに、その機会をつぶしてしまった。
 検察と、新聞、テレビなどのマスコミは、今度もアメリカの手先になった。
 自分たちで、手先になったという自覚がないとしても、結果としてアメリカを喜ばせた。

 私は今回の、マスコミの、小沢・鳩山叩きを見て、「はて、これはかつて見たことのある情景だと思った」
 そうだ。1972年に起こった「沖縄密約事件」だ。
 1971年に、時の総理大臣佐藤栄作がアメリカと「沖縄返還協定」を結んだ。
 毎日新聞の西山太吉記者は、71年の調印直後、井川外務省条約局長とスナイダー米駐曰公使との間で交わされた極秘扱いの電信文を入手した。
 それを元に、返還協定上はアメリカが自発的に支払うことになっていた400万ドルの補償費(具舞金)を日本が肩代わりする、という「密約」疑惑について毎日新聞に書いたが、大して反響を呼ばなかった。
 その後、西山記者は、当時の社会党の横道孝弘議員へ、その極秘電文のコピーを渡し、横道議員が衆議院予算委員会で佐藤栄作をその件で追及したことで、電文の存在が暴露されてしまう。

 さあ、ここからが、実に奇怪なことなのだが、その密約より、その極秘電文を西山太吉氏が外務省の女性職員から手に入れたことが問題にされた。
 外務省の女性職員が国家公務員法100条の守秘義務違反容疑で逮捕され、西山太吉記者も同法111条のそそのかしの罪、で逮捕された。
 これは、恐ろしいことであった。
 逮捕するべきは、国民に嘘をついた佐藤栄作であるのに、逆に、その嘘を暴いた西山太吉氏と女性職員を逮捕した。正悪逆である。
 不正を正すのが検察の役目なのに、邪悪を許し、正しいものを捕まえる。
 検察は、佐藤栄作とその背後のアメリカのために、佐藤栄作とアメリカの計画に邪魔になる西山太吉氏と女性職員を陥れたのである。
 検察は勧善懲悪の逆だ。悪を勧め正義を懲らしめる。

 さらに、事態は醜悪な様相を呈してくる。
 検察は、西山太吉が、外務省の女性職員と「情を通じて」秘密電文を入手したと起訴状に書いた。(こう言うことを、普通書くか。西山太吉記者と、外務省の女性記者を貶めるために、公の場でこんな言葉を使ったのだ。ああ、日本の検察は、本当に品性がありますね。気高くて恐れ多いですね。牛の糞の次に品性がありますね)
 すると、マスコミは、沖縄密約を忘れて、西山記者と外務省女性のスキャンダルを報道することに熱狂した。
 たしかに、西山太吉氏の取材過程における行き過ぎはあっただろう。
 しかし、男女の問題と、沖縄密約の問題と一体どちらが重要なのだ。
 日本人にとって死活問題なのは、そのような密約をアメリカと交わしたことだろう。

 あとで、その密約がもっと途方もない物を含んでいることが分かった。
 事件後50年経ったことで、アメリカでは公文書の公開が始まって、ほかにも密約が幾つもあることが次々に明らかになった。

 主なものだけでも、

 

  • ◎日本がドルを連邦準備銀行に、25年間無利子で預け、その利子の分アメリカに1億1200万ドルの利益を与える、と言う密約。

     

  • ◎沖縄返還後、核再持込みに関する密約。
    戦争が起きた場合は沖縄に再び核を持ち込むことを認める。

     

  • ◎沖縄返還時、費用肩代わりに関する密約。
    沖縄返還にあたり、アメリカ軍が基地として使った土地を田畑に戻すための費用を日本が変わって支払う。

 などがある。

 このような密約がばれるのを恐れて、検察は、西山太吉氏を起訴し、日本にとって極めて重大な問題を、「男女の関係」に矮小化した。
 すると、新聞、テレビは、連日、西山氏と女性職員の男女問題を騒ぎ立て、いつのまにか、肝心の沖縄密約の件は綺麗さっぱりと忘れ去られてしまった。
 国民が、その問題を忘れるように、仕向けたとしか言いようがない。
 日本人も、何が問題の本質かを忘れ、マスコミにおどらされて、西山太吉氏と外務省の女性職員の人格を貶めて喜ぶという、自分自身の劣情をかき立てて熱狂した。
 西山氏の問題を論じるなら、その数倍を密約問題に費やすべきではないか。
 なにが、日本という国にとって大事なものなのか、マスコミの人々は判断がつかないような頭をしていたというのか。
 そうではあるまい。あれは意図的に起こされた騒ぎだったのだ。
 検察と、マスコミが手を結んで、国家の犯罪を隠蔽したのである。
 これで一番得をしたのはアメリカで、次に、当時の佐藤栄作である。

 私は、あれよあれよという間に、話が沖縄密約から男女の問題に変わって、その件をマスコミが騒ぎ立て、密約の問題が消えてしまったことに驚いた。
 今回の鳩山由紀夫氏叩きも、これとよく似た図式である。
 アメリカの不利になると、アメリカに飴をしゃぶらされてきた、あるいは日常的に恫喝を受けている、マスコミ首脳、検察庁幹部、はアメリカのために、鳩山由紀夫氏叩きになりふり構わず力を尽くした。
 今日、クリントン国務長官が、鳩山由紀夫氏を賞賛したというニュースが入ってきた。アメリカの勝利宣言である。
 日本のマスコミ、検察幹部たちにも、ご褒美が届くだろう。
 楽しみにしていなさいね。

 自分の頭で考えて、何が正しくて何が不正か理解できない者は愚民である。
 マスコミに扇動されて、何が正しくて何が不正か分からなくなる者も愚民である。
 1972年の沖縄密約事件で、佐藤栄作とアメリカのために検察とマスコミの仕掛けた扇動に乗って、西山太吉氏を屈辱に追い込んだ当時の日本人は愚民だった。
 今、また、検察とマスコミの扇動に乗って鳩山由紀夫氏を叩き、基地問題の解決を不可能にした日本人は、1972年当時の愚民状態から抜け出しているのだろうか。

 最初に戻る。

 2)基地問題に於いて日本が戦う相手はアメリカである。

 今までに述べたことから、いかにアメリカが日本を蹂躙しているかお分かり頂けただろう。
 基地を取り戻したかったら、アメリカと戦うのだ。
 敵はアメリカだ、鳩山由紀夫氏ではない。
 最大の敵を討つためには、鳩山由紀夫氏資金問題は、一時置いておいて、一緒に戦って、そのあとで資金問題を詰めれば良かったではないか。

 物事には順番がある。順番を間違えると、取り返しがつかないことになる。
 ところが、アメリカは、外務省をも、検察をも、政治家達をも、評論家たちをも抱き込んでいるから、アメリカの意を呈した外交評論家などを、新聞テレビなどは総動員して、「日本にとって一番大切なのは日米関係である」と言わせて、アメリカのいうことを聞けと日本人に説教を垂れる。
 そんな評論家たちがどんな人種かというと、先日、元自民党の幹事長だった野中広務氏が、小渕内閣の官房長官在任中(98年7月~99年10月)、内閣官房報償費(官房機密費)を毎月5000万~7000万円程度使い、国会での野党工作のほか複数の政治評論家にも配っていたことを明らかにした。
 そんな評論家たちが、マスコミに動員されているのである。

 これが、アメリカに対する隷属状態が65年も続いた理由の一つである。
 そして、ついに、検察、マスコミ連合の力の前に鳩山由紀夫氏は屈してしまった。
 無残なる敗北である。味方によって、背後から撃たれたら戦いようがないだろう。
 この鳩山由紀夫氏の敗北を見せつけられると、この後、誰が首相になっても日本のこのアメリカに対する隷属状態を解消しようとする勇気を持つ者はいなくなるだろう。
 鳩山由紀夫氏の敗北と共に、沖縄の人々が米軍基地から逃れ出る希望は潰えたのである。
 日本がアメリカの隷属状態から抜け出す機会も消えたのである。

 3)について言えば、日本に米軍基地があるのは沖縄だけではない。

 全国に134個所もある。
 そのうちの米軍専用基地は90個所(そのうちの面積の70パーセントは沖縄)、残りは自衛隊との共同使用の形を取っている。
 横須賀基地、横田基地、など、首都東京のすぐ近くで人口密集地なので、住民たちの苦しみは一方ならぬものがある。
 しかし、基地から離れている人達は、基地について何の関心も示さない。
 沖縄は、遠く離れているので、余計に他人ごとのようだ。

 どうして、誰も反対の声を挙げ、運動を始めないのか。
 沖縄の人々は怒っている。どうして、神奈川県の人間は怒らないのか。他県の人間は怒らないのか。
 沖縄の人々も、誰が鳩山由紀夫氏を潰したか、冷静に判断して、その怒りをその人々に向けるべきだ。鳩山由紀夫氏が公約を守れなかったのは、アメリカの意を受けた彼の力を上廻る連中がいたからだろう。
 沖縄の友人たちよ、間違えてはいけない鳩山由紀夫氏は真の敵ではない。
 真の敵はアメリカだ。
 敵を見失うな。敵に通じている裏切り者を見失うな。
 沖縄以外の県の人間で、鳩山由紀夫氏が公約を守れなかったからと、ののしり、非難する人々は自分たちの愚かしさを罵るが良い。自分たちが何もしなかったくせに、鳩山由紀夫氏をどうして非難できるのだ。

 昔のことわざに、「鷸蚌之争」(いっぽうのあらそい)というのがある。

「鷸」(いつ)は鳥の「シギ」のこと。
「蚌」(ぽう)は、ハマグリのこと。
「鷸蚌之争」とは、「シギが、ハマグリを食べようとすると、ハマグリが殻を閉じてシギのくちばしをはさんで押さえ込んでしまう。シギもハマグリも困って立ち往生する。そこを、漁師が喜んでつかまえる」ということで、「二者が愚かな争いをしているところを、第三者の食い物にされてしまう」という意味になる。

 鳩山由紀夫氏と検察・マスコミのを争いは、まさに「鷸蚌之争」である。
 この場合、アメリカにそそのかされて「蚌」である鳩山由紀夫氏に攻撃を仕掛けた検察とマスコミが「鷸」だろう。そして日本人同士馬鹿な争いをしている内に、漁師=アメリカは大きな利益を得たのだ。
 クリントンは、シギとハマグリの争いで大きな利益を得て、良い機嫌になっているのである。
 これで、日本がアメリカの隷属状態から抜け出るのは早くとも21世紀半ばまでには無理だということになった。
 実に残念だ。私は、とうとう、アメリカの植民地の人間として一生を終えることになるのだ。
 ああ、くやしいなあ。


* * *


ほぼ同意権だ。

沖縄問題について、日本人はもっとも大事な部分から眼をそらされつづけている。

こーなりゃ魔女裁判だッ!

オザワっちが不起訴の方向性だそうですね(現時点ではまだはっきりしてないようですが)。

実はちょち意外。

なぜなら、もっかい検察審査会で起訴相当の判断が出たら、強制的に起訴になるらしいのですが、その時は起訴は国選弁護士がおこなうらしい。

そうすると捜査資料はすべて提出しないといけないらしくって……そーすると違法捜査があったら、ヤバイわけで。

つまり、そうならないように、1回めの審査会の結果を受けて、起訴するんじゃなかろうかって思っててワケですわ。


ところが意外にも不起訴。

ふ~ん。

よほど公判を維持していく自信がないみたいだねぇ。


さて……例によって「検察は圧力をかけられた!」「審査会で白黒つけろ!」「オザワは有罪に決まっている!」などなど……発狂してるカワイそうな連中が、ネットの中にだけ棲息しているようですが……

このコらには知性とゆーモノがないのだろうか?


そもそも論点がおかしいのだ。

まずオザワとゆー人物が罪をおかしたかどーか、そんなコトは知らん、誰も知らん。

証拠がありゃやったと思うし、なかったらたとえやったとしても、やったと断定するコトはできない。

ソレがまず前提。

だから検察は証拠を集めて、客観的に罪を犯したってコトを証明しなきゃならない。

証拠がなかったら、どんなに怪しくても罪人扱いするコトは赦されない。

いくら「ウソだ!ウソだ!オザワの云ってるコトはウソばかりだ!」なんて云ったって、証明できなきゃ、そりゃしょうがないよ。


そりゃ感覚的に悪人に見えたり、犯罪に手ェ染めたりしてるように見えるかもしれない。

でもね、そんな個人的な見解や感情で証拠もないのに、ヒトを裁いちゃいけないんだよ。

それが最低限の決まりであって、ソレを護らなかったら、恐ろしい社会になっちゃう。

ところが法律も自分の感情も同一視して「きっとやったと思うから、怪しいように見えるから」と、ヒトを犯罪者にする連中があまりに多すぎる。


それにね検察審査会は裁判ではないだよ。

ソコで検察の審査が充分だったかどうかを判断する場であって、「オザワは怪しいから起訴すべきだ!」なんて決まるコト自体おかしいし、法律の問題なのに、ゴシップ目線での感覚が優先されるコトもおしい。

また検察だって、充分な確信がなけりゃ、安易に起訴なんてできないよ。

いちかばちかで、国民を裁判の被告席につかせるコトなんて、そりゃやっちゃいけないよ。


大体、検察に圧力をかけたりとか、次回の検察審査会にオザワの息のかかった者を送りこむなんて、マンガの読みすぎな発言もあるけどさ、できるのなら最初っからしてるし、メディアに偏った報道されないように情報規制だってできたはずだよ。

それなのに、メディアにはとんでもなく偏った捏造まがいの情報が流れるし、キャスタは見当ハズレの非難。

圧力なんて、とてもとても。

そもそも日本の“マスゴミ”とやらは、ミンスや在日に支配されてたんじゃないのかい、アタマの中身がちょっとアレな坊やたち?


この件でオザワをたたく連中の気持ちもわかる。

よくわかる、すんごくわかる、単純明快、アホらしいぐらいに見え見えだ。

とにかくネガティブな印象を与えたいのだ。

必死なのだ。

もっとも、コレでいつまでもぐじぐじぬるぬると、根拠はないけど粘着質にからめるから、かえって喜んでるんじゃないの?

あまり感心できたものではないが、生きがいぐらいにはなるさ、うん。


でも冷静に考えてみてごらん。

さんざん検察が捜査して、某3K新聞を使って捏造報道までさせて、関係のない疑惑を寄せ集めていかにも罪を犯したかのような印象を、国民に与えるようにしむけてみても、コレといった証拠は結局なかったのだ。

コレ以上、やったって明確な証拠がなけりゃどうしようもない。

確かに起訴されなかったから罪を犯していないってコトじゃないし、絶対やってないとかはわかるはずはない。

でもいくら嫌いだからと云ったって、そんな感情でヒトは裁けない。

「有罪だ!やってるに決まってる!」ってただの素人の感情と、法律とをごっちゃにしちゃいけないな。

(しかしさ、コレがミンスでなくって、自公の議員だったら、彼らの反応はまるで逆だったろうね)

それともいっそ魔女裁判する?

鳩山由紀夫はパンドラの箱を開けた

沖縄の米軍基地問題について、イロイロと語られているようだから、今さらトヤカク云ってみても、もう大体云いつくされているだろうと思うのが、ほんのちょっとだけ。


この問題については、野党やらメディアやらアタマの中身がちょっとアレな連中やらが、口々に鳩山政権の責任を云いたてているけれど、そーゆー問題じゃなかろう?

彼らは沖縄の問題を、民主政権誹謗に利用しているだけなのだ。

確かに表面的には一度決まっていた基地の問題を、鳩山政権が蒸し返して台無しにした……って風に見える。

しかしこの問題は、鳩山政権の責任云々などというレベルではない。

沖縄、そして徳之島の住民がNO!を突きつけたのは、鳩山政権にじゃない。

基地そのものの存在だ。


沖縄の人々は、おそらくコレまでは、ガマンにガマンを重ねてきたのだろう。

しかし自民党政権という圧倒的権力にねじ伏せられてきた。

沖縄県以外の県民も、まかり間違って自分トコの近くに基地がこられたらこまるので、口ではキレイゴトを云いながら、その気持ちを無視しつづけてきた。

基地が沖縄にありつづけるコトは、多くのヒトにとって(自分自身も含めて)都合がよかった。

一部の人間がガマンすればよいのだから。

ソコに政権交代がおこった。

コレまではいくら叫んでもムダだと諦めてきたが、ひょっとすると願いがかなうかもしれないと考えたのだろう。

首相も県外移設に尽力すると云った。

目指すべきはソレではないだろうか?


ならば……仮に民主党政権がなくなって、自民党中心(つーコトはまぁ、公明やら立ち何とかとかの支店が野合してってコトだけど……)の政権となった場合、基地問題はどーなるのか?

また元の案でいこうってコトになるのかい?

もうソレはムリだろ?

沖縄県人は、もう米軍基地にはっきりと反対の意を示している。

再び自民党政権にもどったとしても、沖縄の多くの人々は一度見てしまった希望を捨てるコトはできない。

もはやどのような案でも、納得できるはずはない。


先日の徳之島の反対集会では、自民党の某議員が参加して「徳之島に基地はいらない!」と発言したそうだ。

かつての与党であった自民党ですら、米軍基地を否定すると解釈してよいのか?

おかしなハナシだ。

ならば沖縄ならばよいのか?

今まで平然と沖縄に基地を押しつけておいて、野党になったら基地が地元の人々を苦しめるなどと厚顔にも云いはなつ。

そんでもって、自民党を支持する連中は、この集会自体をサヨクだのプロ市民だのと貶めていたはずだ。

ソレが今では住民の声ときたもんだ。

いつの間に宗旨を変えたのだろうか。

そんな連中に、再び権力を与えてはいけない。


考えてみよう。

日本は再び、沖縄に重荷を背負わせる選択をするのか?

今、沖縄に基地を造らなきゃいけないかどうかの二者択一か?

それははっきりと「基地にNO!」の回答が突きつけられている。

ならば他の県か?

徳之島では住民が移設反対を叫ぶ。

その他のどの県でも、受け入れるトコロはきっとないだろう。

どうする?

コレだけ国民から拒絶される他国の基地が、どれほど必要なのか?


そろそろ気がつくべきだ。

この問題は鳩山政権が沖縄問題を泥沼化して、その責任をとるかとらないか――などという低次元なハナシでは、とっくになくなってしまっているのだ。

確かに鳩山首相の発言こそが自縄自縛であるが、いつまでに決着、できなければ責任なんて、それで片付く問題じゃない。

日本に米軍基地あるべきか否かの、根源的な問題なのだ。

たとえ長い時間がかかっても、解決すべき問題はソコだ。


想定の範囲内なのかどうかは不明だが、鳩山由紀夫はパンドラの箱を開けてしまった。

基地の問題と、国民の中にある感情を、はっきりさらけ出してしまった。

何十年と眼をそらしつづけてきた問題が、ソコにはある。

もう後戻りはできない。

小沢幹事長起訴相当?――検察審査会は人民裁判や魔女裁判を望んでいるのか?

小沢幹事長が、検察審査会で「起訴相当」との判断が出された。

今回の件の記事をいくつか読むと、審査会では「政治不信が高まっており市民目線からは許し難い。裁判所で真実と責任の所在を明らかにすべきだ」との意見で、小沢幹事長を起訴すべきだと告発しているようだ。

ボクとしては、いささか驚いた。


この件については検察――すなわちこの国で最高レベルの法律のプロが、小沢幹事長の犯罪を証明するコトは困難だと断定している。

強制捜査もおこない、本人に尋問もし、何ヶ月も捜査をおこなった。

検察は必ずしも正義ではないが、それでも仮にも犯罪捜査のプロなのだ。

それもこの件に関しては、案件そのものが、かなりムリめにもかかわらず、どのような手段を以ってしても……の意気込みが見てとれる。

ソレでもなお“法的”に罪は問えない……と判断しているのだ。

その上で、どのように見直す余地があるのか?


誤解がないように云っておくが、小沢幹事長が金にやましいトコロがないなどとは思わない。

政治家ならば、後ろぐらい銭の流れのひとつやふたつは抱えている。

それは小沢だけでなく鳩山首相だろうが、もちろん自公の議員だろうが、共産党の議員であろうと同様だ。

偽悪的に云っているのではなく、権力のあるトコロ、金は集まり、ソレはきれいなモノ、醜いモノ様々なのである。


しかし、そーゆーコトは少なくとも“法”とは別の見解なのだ。

あからさまに云って、風聞ややっかみの類だ。

“罪”はソレが明らかになり、犯したとはっきりとわかる形で証明されて、初めて“罪”なのだ。

ソレを道義的な問題にすり代えるからおかしくなっていくのだ。


告発されても、証明されないかぎり、ヒトを犯罪者扱いしてはいけない。

風聞でヒトを罪人扱いされるコトが赦されるのなら、ソレは恐ろしい世界である。

だがこの国では、訴えられたらその時点で社会的な犯罪者として既定される。

グレイをシロと認識できない土壌がある。

いかに裁判で無罪となっても、グレィな部分はあくまで“クロ”として認識され、罪を犯していようがいまいが人生を棒に振る。

ヒトを罪人扱いするコトの責任の大きさは忘れないでほしい。


無論“法”では裁けない微妙な機微はあるし、硬直化した司直の視点は狭くて、現実味にとぼしいと感じる部分はあるだろう。

だがこの検察審査会自体が、どのような視線で“法”の不備を補完しているのだろうか?

感情論なのか?

よくわからない。

そもそもこの審査会とは、検察の調査の不備を判断するものではないのか?

ならば何ヶ月もかけた操作がおかしいと批判されるべきは、検察ではないのか?

素人が追求できる程度の捜査の瑕疵を、検察が見逃していたというコトだろ?

それがいつの間にか、審査員が小沢幹事長の罪の有無を判断する場となっている。

おかしいのではないか?


まったくの素人が“市民目線”とやらで、モノゴトを判断している、ヒトを断罪する。

政治不信が高まっている……とはどのような意味だろうか?

政治不信が高まっているから、推定有罪なのか?訴えるべきなのか?

市民目線で赦しがたい?

市民目線――素人の目線で、どのような罪が見えたのだ?

法律のプロが見ても立証できないのに、素人がどのような罪を見てとることができたのだ?

正直云って、意味がわからない。

不思議だ。

何かこう、すんげぇ怪しいって?

だから訴えられて当然?

そりゃあんまりムチャクチャだろうよ?

庶民の目線で……市民感情で赦せない……などの判断基準は、もはや“法”に則っての判断ではない。

怪しいから訴えろってレベルでハナシをしてどうする?

縛られた被告を取り囲んで「罪を自白しろ!」「お前がやったに決まっている!」と弾劾したいのか?

人民裁判か魔女裁判を望んでいるのか?


この件については、わざとだろうと思うのだが、秘書のコトまでふくめて複数のハナシが錯綜し、ごちゃごちゃに解釈され、正直云ってよく理解できない。

ネットで大体の流れを把握しているボクですら、イマイチよくわからん。

”民主党幹事長のオザワが、何かこう、国民の感情を無視して、たっぷりと不法な金をためこんでいやがる”っていびつな情報に流されてしまいそうだ。

それほど常軌を逸した(某自称全国紙では、あきらかに意図的な捏造報道までおこなわれた)報道も、なかなかにないのではないかと、むしろ感心をする。

コレがまぁネットの中でしか生きられず、世間をみようとしないアレな連中が情弱ってバカにしているヒトたちにすれば、もっと強烈にネガティブな印象がすりこまれたのではないかと考える。

裁判員制度もそうだが、法律のプロではない市民は、いとも簡単にメディアの情報や風聞、さらには法律とは無縁の感覚的な判断におちいるだろう。

検察審査会に選ばれたのは、どのような人物であろうか?

まぁそれなりに良識もある、判断能力もある人物であろうと思う。

しかしそんな人物であろうと「小沢、クロ」の印象操作から逃れられなかったのだろうか?

まさにメディアの魔力であろう。

(訴えた連中は、不思議なコトに表には出ないが、つまりアレな連中とのウワサもある。だとしたら、結局は政治的にゆがんだハナシである)

しかも彼らは、検察が準備した資料で判断しているのだろう。

そんな一方的な資料のみを読んで、公正な判断ができるのだろうか?


少なくともこの件については、ダメもとってカンジのようだ。

別にきちんと法的な決着をつけるコトは必要ない。

ある期間まで小沢幹事長、ひいては民主党をこけ落すプロパガンダとなればそれで充分って意識が、検察ならびにメディアにはあるような気がする(産経あたりはね……まぁとにかくヒドイわ)。

少なくともこの件に関しては、法律とはまったく別の力学が働いていると見てよいだろう。

その一方の力点に、必死こいてゆがんだ感覚を積み重ねようとするモノがいる。

ソイツらが自惚れて、自分たちのコトを何て云っているかはともかくとして……

ま、とにかくこれから裁判をすすめたいのであれば、メディアを使って“市民目線での有罪判決”を出せるかどうかが問題になるのかね?

やれやれ、世も末だね。

高速道路料金の上限制度は、きわめて常識的な考え方だ

このハナシをする前に、高速道路無料化を支持しないヒトの方が多いって世論調査があるコトを、まず云っておきたい。

つまり国民の多くが、無料化はすべきではないって思ってるってコトだ。

それを踏まえて高速道路新料金制度のハナシをしましょう。


最近のメディアはこの制度を取りあげて、さかんに実質値上げ――と云うが、なぜそんなハナシになるのだろうか?

なにやら近距離しか使わない場合、損だと云うのだが、まったくアホウとしか思えない。

普通乗用車の場合、70㎞以下では通常の料金をはらい、ソレを超えたら一律普通乗用車で2000円(もちろん、軽や大型などの車種によって、段階的に料金は異なるが)ってハナシで、これを“不公平”って云ってる理屈がおかしい。

ある程度まではコレまでどおり、超えたら一律ってコトが、なぜ値上げなのだ?

まったく理解できない。

値上がりなんて云ってる人間は、自分のアタマでモノを考えているのか?


大体、高速道路の利用距離は、家計にかかってくる税金じゃないのだ。

利用距離の平均を出して(普通車で50㎞ぐらいだったか?)、平均が一律になる距離より低いから損だ――なんてメディアが批判している理屈は、まるで意味がわからないぞ。

近場を利用するコトもあれば、遠くへ行くコトもある。

近場なら通常の料金だが、遠くへ行けば割安なのだ。

別に近場だと値上がりするワケじゃないだろ?

70㎞なんて、隣の県へ行けば、すぐそれぐらいになる。

レジャでも仕事でも、みんなそれぐらい普通に使うさ。

その時は、ずっと割安じゃないか。

要するに、普通に払う時もあれば、一律料金を払う時もあるってコト、ただそれだけだ。


しかもコレは休日だけでなく、毎日だ。

現代は平日のみしか休めない職種も多いし、時間にも制約がある。

そのヒトたちはこれまでの制度の恩恵は受けていない。

それこそ不公平ではないのか?

毎日がそのような料金体系ならば、ずっと高速も利用しやすくなる。

利用量もそれほど変化はないのではないかな?


不公平と騒ぐのなら、コレまでのETC搭載車のみが休日1000円なんて方が、よほど不公平だよ。

値下げするなら、すべての車種にしなければ、おかしい。

時間によってETC搭載車のみ割引とか、まったくヒトをバカにしたハナシだ。

「わ~い1000円、安い安い」ってバカみたいに喜んでおいて、その不公平には気がつかない。

また現行の値下げ制度は、休日に集中するので、観光地では地元の人間が車を出すコトもできないほどに大渋滞を引き起こすコトがあるらしい。

都市圏近郊の有名観光地は、大賛成だと云っていた映像を観たぞ。

前政権が選挙対策で打ち出しただけの、あさはかで不平等な政策なのだ。

しかもこのETC普及の国家戦略は、官僚の利権がらみと見ることができる。

天下りがどーちゃらしたり顔で批判しておいて、それでよいのか、批判者?

無論、不公平に感じる場合もあるかもしれないし、今の休日のみ1000円って制度にくらべたら、割高に感じられるかもしれないが、そんなのは当たり前だ。

何から何まで平等にしろなんて、できるワケはない。


ボクの周囲も、みんな無料化はちょっとね……ってヒトが多い。

ちなみにみんな、子育て真っ最中の主婦である。

ネットなんか使って自分たちは知識があるって勘違いしてる連中が、テレビしか観ないとか小バカにしてるヒトたちだ。

造ったのだから、やはりある程度は利用した分とらんと、いつまでたっても借金はなくならないだろうって。

今の料金は高すぎるけど、半分か三分の一になればよいのに……と云っていた。

だから、今回の制度はなかなか押さえるトコを押さえていると、彼女たちにもなかなか好評だ。

実にバランスのとれた感覚だ。

メディアやそれに登場する有識者の感覚が、いかに庶民とかけ離れているのか、それだけでよくわかる。


だからこの普通乗用車上限2000円というのは、きわめて常識的な金額だと思う。

正直云って、国交省の役人だか、民主の議員だかをちょいと見直したよ。

これほど現実に即した金額を持ち出してくるのは、なかなかのセンスだと思う。

2000円ってのも、まぁなんとか払える金額だし、払うコトによって収入も得られるし、払う側も建設費用分は少しづつだが払ってるって意識も生じる(何でもタダにすりゃよいとゆーものではないのだ)。


ただこの新制度で、いくつかひっかかってくる点がある。

道路建設に使われる費用が不透明ってコトと、これまでのETC割引がなくなるってコトだ。

このあたりをもっときちんとすれば、実によい制度だと思う。

また流通にたずさわる業種の車については、個人の利用とはっきり分けてもう少し緩和してよいのではないかとも思う(フェリィ業界などの他輸送機関の立場もあるのでむずかしいと思うが……)。


最近、この制度について、鳩山政権が迷走しているなどと発言しているメディアばかりだけど、揚げ足とりもよいトコロだ。

幹事長がよくないと云って、国交大臣が現行でいくって云っただけであり、そこには何も混乱も迷走もない。

党内で意見や異論があったってだけじゃないか。

今日の夜の報道を見ていて、あまりにひどすぎるメディアの悪意に満ちた世論操作には、愕然としてしまったぜ。

コレもあれか?

民主党がクロスオォナァシップ制度の見直しに言及したからか?


この制度は動きだしたら、絶対そのよさがわかってくると思う。

苦しい国家運営がつづいている民主党の施策にしては、実に常識的で現実にそった政策だと思うね。

ボクは支持するよ。

見識のねじれ現象、コレも政権交代のひとつの結果か?

普天間基地の移設問題である。

先日、徳之島で基地移設反対の集会がおこなわれ、なんと1万5千人ものヒトが集まったそうです。

うむ、結構なコトである。

云うだけではダメ。

ちゃんと行動するコトこそが大事だ……と思ったんですがねぇ……

メディアなどはコレを以って、いかに徳之島のヒトたちが、いかにも「基地NO!」と主張しているように報道していましたが、何かおかしい、何か違和感を感じる。


ちょっと待ってもらいたい。

日本人ってさ、そんなに基地に関心高かったかい?

ウソだろ、オイ。

そもそも本土の人間に、沖縄の基地を自分たちで負担してやる意識などゼロである。

「米軍、危ないね~」とか「沖縄のヒトはガマンさせられてるんだね~」などと云いながら、その実、他人事なのです。

沖縄のヒトたちが大変だから、自分トコの街で受け入れてあげようなんて考える者はいない。

だって何かあったらこまるじゃん。

「日米同盟のために必要」とか「中共が攻めてきたら恐いぢゃないか!」とか云う連中だって、沖縄に米軍の基地が集中するコトには何の疑問も持たない。

「米軍NO!」を叫ぶ左派も、「アイコク、アイコク!」と叫ぶアイコクシャも同様です。

結局、本土の者にとって、沖縄がひとりでワリ喰ってもらっときゃいいの。

基地問題なんて、社交儀礼程度に外野で騒ぐぐらいで充分。

だから今まで見てみぬふり。


ところが政権交代して、普天間の移設問題を急にメディアが取りあげはじめた。

前の政権では知らんふりで、事故やら犯罪やらあった時ぐらい、ちょいちょいと申し訳程度に記事書いて「何とかなりませんかねぇ」

それでオワリ。

夏休みの読書感想文かってぇの。

てか、こんな集会、これまでだったらろくに報道もされなかったんじゃないかな?

アレ、完全に前政権の負の遺産じゃん。

そのころはろくすっぽ解決するつもりなんぞなくって、ソレをメディアがどこまで追求した?

それなのに、今になってあやしげな大合唱。

「どーする、どーする」とか云ってさ、何か今まで棚上げにしといた問題の埃をはらって、急に騒ぎ出した。

ボクの気が(記憶です、オッサン)が正しければ、確か政府は徳之島なんてひとことも云っていないはず。

それがメディアが徳之島なんて勝手に決めつけて、いつの間にか、まるで政府がソコに決定したかのような報道ぶりだ。


う~ん、コレってどうなのさ?


コレまでメディアは、たとえ口先だけでも「沖縄の負担を減らすべきだ~」なんて云ってたよね?

(ま、少なくとも「沖縄人、ガマンしたまえ」とはたとえホンネであっても云えやせんわな)

今その主張どおり、沖縄の基が県外移設ってハナシになってるよ。

い~じゃん。

自分たちの主張どおりじゃん。

「日本人みんなで考えていこーぜ!」って国民意識を喚起させるのが、メディアのやるべきコトじゃね?

ところがいざ移設ってコトになったら、アレはダメ、コレはダメ、挙句には「いついつまでに解決できなかったら解散だッー!」とか、何勝手なコト云ってんのってカンジだ。


で、もっとオカシイのが、まぁその何だ……なんて説明していいかわかんないアレな連中。

コイツら、今までだったらたとえば「米軍NO!」の集会なんて見たら、脊髄反射で「反日だー、売国奴だー、ニッキョーソだー、ジチローだ!」ってえくすたし~を感じてらしたのに、徳之島の件に関しちゃ「コレが民意だ、ミンス政権にNO!をつきつけたんだ!」って、急に擁護。

ま、確かにあの小さな島で1万5千人はあまりに多すぎるから、おそらく外部からの“参加”はあったと思う。

防衛庁高級官僚だったタモやんも、かつて広島だったかの平和集会で「全部動員されてる。地元の者はいない」とかおっしゃって、またソレを、アレなヒトたちが擁護してたもんね。

コイツら自公与党時代のハナシだったら、絶対「工作員が動員されて、地元の意向を無視して反対運動してやがる、プロ市民だ!」なんて云ってたよ。

地元の町長がソーリとは会わないなんて云ったら、きっと狂犬のようにかみついてたよ。

自分は安全な場所にいて、基地のコトなんて、沖縄のコトなんて、考えたことすらないくせにね。

コレまでだったら、日米同盟だの東アジアの平和だのを盾に、沖縄県民にガマンしろって押しつけてたくせにね。

何、いまさら地元の住民の立場になってるつもりよ。

別に徳之島の住民のためでなくって、ソレをミンス攻撃にすりかえる。

自分たちがキライな政権を攻撃するためなら、ころりとコレまでの見識を方向転換。

方法と目的とが完全にねじれてしまって、ソレすら気がついていない。

うわ~コイツらの見識のアクロバットに、めまいすらするヨ。

ホント、あざといっつーか、醜いっつーか。


ホントおもしろいと思う。

政権交代によって、今までのミギがヒダリに、ヒダリがミギに。

立ち位置を変えただけのドロの投げ合い。

茶番だね。


ま、こんだけ国内で反対運動がおきれば、基地は国外に移設するしかないんじゃないの?

左派は元々そうだったし、アイコクシャ諸君もコレだけ非難してるんだからさ。

仕方ないよね。

米国だって、地元の諒解を優先するって云ってるし、そもそもグアムへ完全移転するハナシを、ムリヤリひきとめたのは、かつての政権だったからね。

「すんません、コレだけ反対されては国内に移設はムリだわ。やっぱ出てってよ」ってキッパリと云えるんじゃ?

ま、どーしてもって云うんなら、国民投票してさ、日米同盟がすんげぇ大事って意見が一番多かった都道府県にすりゃいーんじゃね?

ある意味、コレほど民主的なやり方はないぜい。

……そんな時に限って、そーゆーコト云うヤツ、沈黙すんだよな、絶対。

民主党政権を支持する

鳩山内閣の支持率が下がっている。

当然だと思う。

この半年、モロモロの問題について、あまりに迷走がつづいたし、船頭多くして船、山を登る状態が、頼りない印象を与える。

あまりに歯がゆい。

先の選挙で国民の多くが民主党を選択したその意味を、思い出してもらいたい。

その上で何を為すべきか、もう一度よく考えてもらいたい。


確かに民主党の政策はおかしい部分は多い。

米軍基地の移設や22年度予算、参政権の問題などは賛成しがたい。

だが、高速道路料金の上限だって、高校無償化だって、こども手当てだって、問題点は多いが、部分的に改善すれば、すごくよい政策になると思う。

第一、水俣病訴訟の和解や沖縄密約問題だって、政権交代したからこそ、初めてオモテに出たんじゃないだろうか。

政策自体、ボクはある程度間違った方向ではないと思う。

問題は、それをアッピィルする表現だ。

自分たちが打ち出した政策は、もっと自信をもって堂々と主張するべきだ。

そのあたり、民主とは自信が政権という自覚が足りないような気がするし、もっと図太さがほしい。


今またかつての政権にもどってしまったら、まず間違いなく、ボクらの生活はメチャクチャになると思う。

一度政権に返り咲いたならば、彼らのするコトは二度と政権から滑り落ちないようにするための権益の強化であり、国民のための政治はおこなわない。

もうあの政権にもどしてはいけない。

狂った時計の針をもどしてはいけない。


ボクは民主党政権を支持する。

井上ひさしが死んだ

井上ひさしが死んだ。

井上ひさしが死んだ。

小説に戯曲に、かつては放送作家として存分に腕をふるってきたヒトだ。

小説家とかエッセイストとか戯曲家とか、そんなじゃなくって、まさしく“作家”って称号がふさわしい、不出生の職人だった。

ボクの本棚に、ぽっかりと空洞ができてしまったような気分。

残念だ。

すごく残念だ。