鳩山由紀夫はパンドラの箱を開けた | 逍遥録 -衒学城奇譚-

鳩山由紀夫はパンドラの箱を開けた

沖縄の米軍基地問題について、イロイロと語られているようだから、今さらトヤカク云ってみても、もう大体云いつくされているだろうと思うのが、ほんのちょっとだけ。


この問題については、野党やらメディアやらアタマの中身がちょっとアレな連中やらが、口々に鳩山政権の責任を云いたてているけれど、そーゆー問題じゃなかろう?

彼らは沖縄の問題を、民主政権誹謗に利用しているだけなのだ。

確かに表面的には一度決まっていた基地の問題を、鳩山政権が蒸し返して台無しにした……って風に見える。

しかしこの問題は、鳩山政権の責任云々などというレベルではない。

沖縄、そして徳之島の住民がNO!を突きつけたのは、鳩山政権にじゃない。

基地そのものの存在だ。


沖縄の人々は、おそらくコレまでは、ガマンにガマンを重ねてきたのだろう。

しかし自民党政権という圧倒的権力にねじ伏せられてきた。

沖縄県以外の県民も、まかり間違って自分トコの近くに基地がこられたらこまるので、口ではキレイゴトを云いながら、その気持ちを無視しつづけてきた。

基地が沖縄にありつづけるコトは、多くのヒトにとって(自分自身も含めて)都合がよかった。

一部の人間がガマンすればよいのだから。

ソコに政権交代がおこった。

コレまではいくら叫んでもムダだと諦めてきたが、ひょっとすると願いがかなうかもしれないと考えたのだろう。

首相も県外移設に尽力すると云った。

目指すべきはソレではないだろうか?


ならば……仮に民主党政権がなくなって、自民党中心(つーコトはまぁ、公明やら立ち何とかとかの支店が野合してってコトだけど……)の政権となった場合、基地問題はどーなるのか?

また元の案でいこうってコトになるのかい?

もうソレはムリだろ?

沖縄県人は、もう米軍基地にはっきりと反対の意を示している。

再び自民党政権にもどったとしても、沖縄の多くの人々は一度見てしまった希望を捨てるコトはできない。

もはやどのような案でも、納得できるはずはない。


先日の徳之島の反対集会では、自民党の某議員が参加して「徳之島に基地はいらない!」と発言したそうだ。

かつての与党であった自民党ですら、米軍基地を否定すると解釈してよいのか?

おかしなハナシだ。

ならば沖縄ならばよいのか?

今まで平然と沖縄に基地を押しつけておいて、野党になったら基地が地元の人々を苦しめるなどと厚顔にも云いはなつ。

そんでもって、自民党を支持する連中は、この集会自体をサヨクだのプロ市民だのと貶めていたはずだ。

ソレが今では住民の声ときたもんだ。

いつの間に宗旨を変えたのだろうか。

そんな連中に、再び権力を与えてはいけない。


考えてみよう。

日本は再び、沖縄に重荷を背負わせる選択をするのか?

今、沖縄に基地を造らなきゃいけないかどうかの二者択一か?

それははっきりと「基地にNO!」の回答が突きつけられている。

ならば他の県か?

徳之島では住民が移設反対を叫ぶ。

その他のどの県でも、受け入れるトコロはきっとないだろう。

どうする?

コレだけ国民から拒絶される他国の基地が、どれほど必要なのか?


そろそろ気がつくべきだ。

この問題は鳩山政権が沖縄問題を泥沼化して、その責任をとるかとらないか――などという低次元なハナシでは、とっくになくなってしまっているのだ。

確かに鳩山首相の発言こそが自縄自縛であるが、いつまでに決着、できなければ責任なんて、それで片付く問題じゃない。

日本に米軍基地あるべきか否かの、根源的な問題なのだ。

たとえ長い時間がかかっても、解決すべき問題はソコだ。


想定の範囲内なのかどうかは不明だが、鳩山由紀夫はパンドラの箱を開けてしまった。

基地の問題と、国民の中にある感情を、はっきりさらけ出してしまった。

何十年と眼をそらしつづけてきた問題が、ソコにはある。

もう後戻りはできない。