逍遥録 -衒学城奇譚- -30ページ目

石崎幸二著 「袋とじ事件」

あっはっはっは。この人のハナシ、好きです。

あんまり人死なないし、明るくって、軽いカンジで、笑えます。


アンバランスに生い茂りすぎて、何がなんだか、わかんなくなってる、

最近のミステリの傾向ですが(はっきり云って、こねくりまわしすぎです)、

こんな見通しのいい、上質のミステリの存在って大切ですよね。


さて、内容ですが・・・

何の因果か、某女子高ミステリ研の顧問をつとめる、平凡なサラリィマン石崎幸二と、

たった2人の部員が、嵐の孤島(ベタ!?)遭遇する不思議な事件。


女子高生にオタク扱いされながら、くじけることなく(つーか、あんまコタエてない?)、

妙にうまい具合に2人の手綱を取ってるあたり、主人公石崎幸二(作者とは別人格)は

“漢の中の漢!”と云っていいいだろう。いや、むしろ漢のあこがれである。

また彼を嬲る(字がスゴイ!)女子高生2人ですが、

口は悪いは、行動はハタ迷惑だわ、とにかく核弾頭みたいな奴らですが、

ラストシィンは・・・読んでのお楽しみ。

こんな娘たちがブログやってたら、ボクきっと、読者になって毎日ノゾきにくるよ。


評価:★★★★☆


「大王のひつぎ実験航海」のホゥムペェジです。

よかったら、お立ち寄りください。


http://www15.ocn.ne.jp/~daioh/index.htm

アーシュラ・K・ル・グウィン著 「帰還」ゲド戦記最後の書

物語は3作目の直後から。

○○を○○したゲドは、ようやく故郷に帰ります。

世界は変貌しつつあり、秩序と規範が別のものとなりつつあります。

そして魔法も・・・


ゲド戦記最後の書とありますが、実際はまったく別物と考えた方がいいです。

もう、外伝とか異聞とか。いや、むしろ別のハナシ。


こんなゲドは見たくなかった・・・って愛読者の声が聞こえてきそうです。


第2作で登場したゴハを中心に、物語はすすみますが、どうも根暗い。

緊張感があふれる場面も、ところどころにはあるのですが、ノレません。

だから書評のほうもノレてません。んー、歯切れ悪いなぁ・・・


今回の作品は、ル・グウィンのSFがしばしば匂わせるような、

性差(彼女本人がどーとかじゃないが・・・)が、見え隠れしており、

それがどうにも引っかかる。ボクの文章も引っかかる。


自分で自分が湿っぽいと思うよ。

でも、あんな「ゲド戦記」は読みたくなかったよ・・・

「ナルニア国」と「ドリトル先生」、それに「ゲド戦記」は、

ボクの少年時代の、黄金の組み合わせだもん・・・


前3作を読んで、心の本棚に大切にしまってる人は、

読まないほうがいいです。いや、ホント。

書評:★★☆☆☆


さんざん迷ったが、★ひとつはおまけじゃー!本当は限りなく星ひとつ。

「大王のひつぎ実験航海」のホゥムペェジです。

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人生最後の航海を、終えました

斉藤さんと堀江さんのヨット単世界一周の記事を、

こないだ書いたばかりなのに、こんなニュゥス。


アメリカに帰化していた畑下栄さんが、

日本に眠ることを希望していた、奥さんの遺骨を抱いて、

ヨットで太平洋を単独横断して、日本にやってきたのが、去年の12月。

亡き妻の埋葬をすませ、アメリカにもどるため、

6月15日に、畑下さんは再びヨットで海に出ました。

体を悪くしていて、なかば死を覚悟しての、船出だったそうです。


今月に入って、石巻洋上で、マストが折れて漂流していたヨットが見つかり、

横たわる遺体は、畑下さんであることが、ほぼ断定されました。


死は定めです。

しかし、死ぬのは冒険ではありません。生きて戻るまでが冒険です。

だとしたら、周囲の反対を押し切って船出した畑下さんの行為は、

一見、愚かしい、ゆるやかな自殺のようなものに見えるかもしれません。

でも・・・


妻の遺骨を日本に葬るために、家を売って、ヨットで海を渡った畑下さん。

愛艇を置いて帰ることはしのびないと云った畑下さん。


飛行機で来て帰ればよかったのに、などと云うヤツはブン殴ってやります。

彼は人生最後の航海を、今終えたのです。


ボクは何も云えません。

ただ、畑下さんの魂に平安があられんことを。


という記事をフロッピに入れていたら、

8日、エド・マクベイン死去とのニュゥスを知りました。

「87分署シリィズ」や、カート・キャノン(エヴァン・ハンター)

名義で描いた「酔いどれ探偵」などが代表作です。

どいつもこいつも煙草すってた時代の、アメリカの男たちを描く作家でした。

合掌


「大王のひつぎ実験航海」のホゥムペェジです。

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内田百閒著「冥土・旅順入城式」

いやー、ここんとこ、自分でも(一応)書評のブログってこと、
ホ・ン・キ!で忘れてました。
自分で自分が、信じられん・・・

というわけで、自分の中の名誉回復をめざして、
再開(?)一発目は、内田百閒先生の作品。短編集です。

えー、しかし実は中の一編に、
犬に石を抱えさせて、水に沈めて殺す話があったので、
この人、キライになることに決めました。決定です。
とりあえず、最初に云っときます。反論は一切受けつけません。
その上で書評なぞ。

湿っぽい、土間の薄暗がりを手ですくいあげて、
蝋燭の明かりで書き綴ったようなハナシたち。
一人称で語る主人公が、現状を認識し、
感情をそそぎこむところから始まります。
いきなり夢の途中から、登場人物役に振り当てられたような、
劇の第二幕から、話がわからずに舞台に立たされたような、
そんな不安なところが起点です。

だから主人公は、常に怯え、惑い、怒り、
そして物語は流れる始めるのです。
読み手が文字を眼で追い、凍結していた物語が、初めて起動します。
主人公と読者との一体化が、知らぬ間になされてるのです。
この物語は百閒の手によって綴られ、
読者の眼によって、再び綴られるのです。

中の一編「件」の話。
“くだん”という、何やら妙な化け物になってしまった主人公。
ところが、たしか主人公の知識では、
その化け物は3日しか生きることができず、
予言をする力があるということに、思い至ります。
しかし、予言なんて自分にはできない。
そのうち自分の予言を訊きに、多くの人たちが集まってくる。
ああ、どうすればいいんだ。
予言できないとなれば、みんな自分にひどいことをするんじゃないか?
死ぬのはいいが、痛い目にあうのはいやだ。
どうしよう、どうしよう・・・
そして予言を待つ人々も、なぜこいつは予言をしないんだ、
なにかとんでもないことを、云い出すんじゃないだろうか?
ああ、訊きにこなければよかった。
どうしよう、どうしよう・・・
という内容。

なんともまぁ、据わり心地の悪い話だこと。
相手の貌が、霞むように判然としないのも、百閒の物語の特徴で、
夢の話がもやッと、文字に化けたようなものです。
全体に流れる薄暗さが、自分に合って、すごく好きですね。

評価:★☆☆☆☆

星ひとつ・・・
だからボク、この人はキライなんだってばさ。

「大王のひつぎ実験航海」のお知らせ!

リニュゥアル後、初めての記事です。

7月1日に記者発表があって、取材解禁になりましたので、ちょうどよかろうと思い、このハナシを。


今から1500年ぐらい前の、古墳時代のことです。

当時は、今でいう大和地方とその周辺の権力者が、大変大きな勢力をもっていました。

彼らは何百mもある、世界最大級のお墓(古墳)を造り、

の棺おけ(石棺)は、遠く九州から運ばれたことがわかっています。


しかし石棺は何トンもある、非常に重いもので、それを九州から運ぶには、ものすごい労力が必要です。


なぜ、わざわざ九州から?

このあたりは、当時の社会情勢に深く関係しており、簡単に満足のいく答えは出せませんが、

畿内と九州の交流関係をうかがうことができます。


今年の夏、熊本県の宇土半島から近畿にむけて、石棺を運ぶ実験がおこなわれます。

宇土半島で採れたピンク色の石が、畿内地方で石棺として使われているため、

実際にどのようにして運んだかを、実証するためです。


もちろん、現代はさまざまな制約があるので、当時の状況を完全に再現することはできません。

ですが当時の人々が、何百キロも巨大な石棺を運んだということを、

机の上でなく、実験して確かめようとする、ムチャクチャ意義のある試みなのです。


イカダの上に石棺を乗せて、復元した古代船で引っ張り、

有明海を北上し、玄界灘を越え、関門海峡を通り、瀬戸内海を東に進んで、

最後は淀川河口で陸揚げされます。

あちこちに寄港し、約30日にわたる大航海です。


夏ですので、台風がきたら、スケジュゥルはすべて狂ってしまいます。

石棺を引っ張る古代船は、海の上では豆粒ぐらいにしか見えません。

それを人が漕ぐのです(ガンバっていきまっしょい!)。

もしかしたら、沈没してしまうかもしれません。


ぐわッー!ホントに成功するのか!?つーか、失敗するわけにゃあ、イカン!

ボクが書いてるから、なんかたいしたモノじゃないように聞こえますが、このプロジェクト、

熊本の地域おこし団体と、西日本の古墳時代の専門家が多く参加し、

読売新聞社・各自治体の協力を得て実施されてまして、

もし成功したら「プロジェクトX」で放送されても、

決しておかしくないくらいの、とんでもなくスゴイ試みなのです。

その代わり、失敗したら週刊誌の三面記事だ!!

そうネガチブに考えると、なんか書くの躊躇っちゃうのですが・・・

いーや!やってやるッ!!グッドバイだぜ、ネガチブシンキングッ!!


7月24日(日)に熊本を出航して、月26日(金)に大阪南港に上陸予定です。

各寄港地で、歓迎の式典やることもありますので、

九州・四国・中国・近畿の人たちは、観にきてください!
いや、ホントすごいって。


またちょくちょく、このハナシはしようかなと思いますので、

おもしろそう、こんなこと訊きたいってリクエスト、受けつけますよ。

多分こんなプロジェクト、今後20年はないでしょう。

うおッー!今年の夏は熱いぜッーーー!!!


「大王のひつぎ」実験航海ホゥムペェジアドレスは下です。

初めてやってみた!どきどき。

ぜひ、お立ち寄りくださり、応援してください。


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ヨットで世界一周

斉藤実さん!ヨットによる単独無寄港世界一周、おめでとうー!!

太平洋を南下して、ホーン岬、喜望峰を通過、南氷洋から北上して、

5万キロにもおよぶ航程でした。


船体がひっくり返るぐらいの風に乗り、マストよりも高い波を乗り越え、

水と食料に苦労しながら、孤独な200日。

24時間ゆれ続けるせまいヨットの中で、寝る時もヤッケ着たままだったり、

たまった水垢くみ出したり、カビと闘ったり、

そして何より、どこまで行ってもたった独り。

この偉業、陸にいるボクたちには、想像もつかないことです。


でも世界最高齢だとか、メディア、やたらそのあたりを強調するけれど、

冒険するのに年齢は関係ないし、斉藤さんの価値は減りも増えもしないのに、

やたらそんなカンムリ、かぶらせたがる。正直、シラケます。


でもとにかく、そんなつまんないモノ吹き飛ばすくらい、

斉藤さんのやったことって、凄いことなんです。

でもインタビュゥ聞いてたら、変なオッサンだった・・・


奇しくも、ボクのココロのヒィロォ、堀江健一さんも7日に帰港します。

堀江さんも何度目の世界一周だろうか。

今から40年前、日本人で初めて、太平洋横断した人です。

そのころはヨットによる渡航なんて、日本じゃ考えられなくって、

20代の堀江さんはノゥパスポゥト、ノゥマネェで日本を飛び出したんです。


陸に住む人間にとって、海は人と人を隔てるものだが、

ヨットマンにとって、海は人と人を繋げるものだ。


って言葉があるそうです。

世界はきっと、彼らのような人たちによって、開かれていったと思うんですよ。

野村家三代狂言を観て~芸の道のおそろしさ~

十二世 野村又三郎氏の狂言を観ました。

息子の小三郎氏・孫の信朗君との、三代にわたる共演でした。


さて野村家といえば、和泉流の長老格で、

ぶっちゃけちゃうと、何年か前、世情を賑わせた例の彼などとくらべても、

格は何段も上の人物と云っていいでしょう。

おそらく日本最高峰の一握りに入るんじゃないでしょうか。

自身も重要無形文化財の指定を受けておられます。

九州の片田舎での披露で、地元狂言グルゥプが2番、野村家が2番という、番組でした。

野村家の番組は「靭猿(うつぼざる)」・「二人袴(ににんばかま)」。


結論から云うと、いや、凄い!

又三郎氏が橋掛かり(出入り口)から舞台へ出た瞬間、総毛立ちました。

心臓のドキドキが告げています。これは本物だ。

又三郎氏は大名役と、年取った少し間の抜けた父親役の2役をこなしましたが、

まるで別の人格です。

また息子の小三郎氏の軽妙で巧いこと!

地元狂言グルゥプとの差は、歴然です(ま、くらべるわけじゃないが)。

彼らは舞台の上で歩いていると表現するなら、野村家の芸は、舞台の上を滑っている、

何がどう違うのか、ボクには具体的に認識できませんが、それぐらいの差があります。

これは芸を生きる道としている者と、そうでない者との、厳然たる差なのでしょうか?

靭猿」では、息子の小三郎氏・孫の信朗君と共演されましたが、

驚くなかれ、信朗君は何と4歳です。ほとんど初舞台に近いぐらいです。


靭猿」とは、大名(又三郎氏)が、矢筒にサルの毛を貼りたいと思い、

猿使い(小三郎氏)に、猿(信朗君)を殺して、皮を剥げと命令します。

猿使いは泣く泣く猿を殺そうとしますが、猿は愛らしい芸をし、

ついに大名も、その様子に、殺すのを忍びないと思い、自分が悪かったと云います。


実は猿役の信朗君、サルの仮面をかぶらされ、

舞台袖で「コワイ、コワイ」と泣いていたんです。

舞台の上でもやはり怖くって、ずっと泣き続けていました。

それでも、時々でんぐり返しをしたり、サルのマネをしたり(芸としてはそんなもの)、

自分の役どころを、きちんとはたしていました。


正直、ゾッとしました。

たった4歳の子供を、プロとして舞台の上に上げてしまう、

芸の道のおそろしさ、残酷さ、そして奥深さ。

きっと怒られたり、なだめられたりしながら、出たのでしょうが、

それを為す、摂理の強さ。芸のひだにです。

伝統とか歴史とか、そんな甘っとろい言葉なんかじゃ、理解できないと思います。


世阿弥の著した「風姿花伝」には7歳の子供の教え方に

「うちまかせて、心のままにさせすべし・・・」

「あまりにいたく諫むれば、童は気を失いて・・・やがて能は止まるなり」

などとあり、ああこれは現代教育のあり方にも通じるかなぁと、

考えたこともありますが、考えてみれば、数百年も前から、

後継の扱いに心を砕いている様子は、面白いと云えば、面白いです。


芸の道とは、おそらくボクなどが垣間見る事もできない、懊悩をたたえています。

それはもうすでに、芸の道にまとわりついた“業”そのものです。

だからこそ人は、芸に心を奪われ、酔いしれるのではないでしょうか。


で、夜の祝賀会にも出ましたが(あんた何者?)、

市長に県議、あんたらの祝辞、程度低すぎます。

頼む!文化の“ぶ”の字もわきまえてない奴が、そんな言葉、口にしないでください。

情けないです。

弥生時代のことについて、ここ2~3年の考古学界の動向

 

今月の21・22日に、国士舘大学で、日本考古学会がありました。

発掘屋は一応、考古学とやらで、メシを喰っておりますので、

今年も参加いたしましたが。


さて、ここ2~3年、日本の考古学界で注目をあびているのが、

弥生時代の開始についてです。

興味のない人は読み飛ばしてもかまいませんが、

なるべく簡単に説明しようと思います。

弥生時代といえば、おそらくほとんどの人にとって、

学生時代の教科書で習った以上のことには縁がないと思います。

きっと、農耕(稲作)の始まり、大陸からの文化が入ってきたとか、

そんな感じじゃないでしょうか?

大筋では間違いないので、ややこしくならないように、

まぁそんなもんだと思っといてください。


今までは、紀元前500年ぐらいが、弥生時代の始まりだと云われてきました。

しかし、最近ではもう500年ばかり遡る、

つまり紀元前1000年前後ではないかという説が出ています。

これはおととしぐらい、ニュゥスにもなったので、

知っている人もいるかもしれません。

その根拠として、弥生時代初めの土器についてるオコゲを測定したところ、

そのような数値が出たからということです。

だとしたら、これはものすごいことです。

日本がずっとお手本にしてきた中国よりも早く、

鉄器を使っていたことになるのですから。


そのあたりの矛盾は、エライ先生方が議論してますので、ともかくとして、

その説は、実は学術的な発表の場よりも早く、

マスコミで発表してしまったという経緯があるのです。

マスコミに、“自分たち研究グルゥプの説”を発表し、

あたかもそれが、“新事実”のように喧伝させるという手法をとり、

それに対する反論を、封殺しようとしたのです。

この手法、学術的な見地からの検討をおこなわず、

自分たちのグルゥプの説が、学会すべての定説のように、

いわばなし崩し的に定着させようとしたやり方、はたして正しいと思いますか?

他の研究者にはデェタを検証するヒマをあたえずにです。

ボクはかつての東北の旧石器捏造事件のように、

マスコミを利用することにより、他の反論を封殺するようにしか見えないのですよ。


さて、問題は今回の発表ですが。

ここ数年、500年遡るという説が、マスコミを背景に、

何やら既成事実のように有力のようでしたが、少し風向きが変わってきたようです。


何でかって云うとですよ、うん、ぶっちゃけちゃうと、

どうもその主張をしてるグルゥプが、

資料操作してるんじゃないかっていう疑惑らしきものが、出てきたんですよね。

彼らの説は、物質に含まれるある炭素の量を測定する方法で、

デェタを出してるのです。

この炭素は有機物(木とか生物とか)に含まれるもので、

常に一定の量を保ってるんですが、

一遍死んでしまうと、どんどん減っていくんです。

約5800年ぐらいで、生きてる時の半分になります。

つまり生物の死骸が発掘されて、調べてみて、

その炭素が半分しかなかったら、その生物は死んで約5800年、

4分の1だったら約11600年たってるということです(あーややこしい・・・)。


これを弥生時代の開始に当てはめていくと、

紀元前1000年ぐらいになるということですが、これがどーも怪しい。

資料の年代測定値もすごく怪しいところに持ってきているし、

そうなると、数十年単位で、時期差が出てくるし。

だいたい、その炭素測定法自体、信憑性は7割程度と専門家も云ってるし。

さらに、そうなってくると、紀元0年前後に作られた前漢の鏡が、

日本に伝わってきて、それより350年も前のお墓に

入れられてたことになるし(それって、ありえないでしょう?)。

会場からの反論で、どうもこの研究グルゥプ、

自分たちに都合の悪いデェタを、

ごまかして使ってるんじゃないかなって、ボクは感じましたね。

で、つまった時の、逃げのセリフ「デェタを提示しただけです」

ふざけんな!あんたらレジュメでも、はっきり結論書いてんだぜ!


はぁ、こまるんだよな。いい加減なことされちゃ。

考古学界全部が、いい加減なことしてると思われちゃうよ。

東北の旧石器捏造事件から、何も反省してないじゃん、あんたら。


ボクは、結論がどうであれ、より正しいと思ったほうに従います。

それが亡き恩師K先生の教えですから。


で、何より問題なのが、その研究グルゥプの中心人物。

かつてボクのブログでも書きましたが、

H遺跡のことで、いい加減なことを週刊誌にコメントして、

K先生を自殺へと追い込んだ、Hという人物なんです。

個人的には、彼の説、ブッつぶれてしまえばいいのにと思うのですが、

もし彼の説が正しかったら、それに従わざるをえません。

嫌いだから、無視するなんてことがあってはならないのです

(この業界、結構そんなこと多いらしいです、情けない)。

・・・複雑ですよ。

米澤穂信著「春季限定いちごタルト事件」

恥ずかしい表紙シルィ~~~ズウウウウ!いってみよー!

「春季限定いちごタルト事件」!!もう、タイトルからして、萌えてます。

画像をお見せできないのが、実に残念である。


湯気の立つカップを両の掌の中に包みこんだ、詰襟の少年の左に、

これもセーラー服姿の少女が、でっかいカップを唇に当てています。

2人の前のテェブルには真白い皿いっぱいの苺と、

カップから生えてる茎の先端に生る、でっかい苺(!?)。

あどけない表情をした2人は、眼を合わせることなく、別々の方向を向き、

はんなりと、虚ろに、自分のカップに唇を寄せ、

2人の着ている制服の黒は、交じり合って、

2人はひとつの闇から分かたれた、一組の異神のように、

近く、遠く、不思議な空気がたゆたっています。

画像をお見せできないのが、まことに残念である。


解説文がまたよい(カッコ内編者。わっはっはっは)。

「小鳩君と小山内さんは、恋愛関係にも依存関係にもないが、互恵関係にある高校一年生(萌!)。きょうもふたりは手に手を取って(萌!!)清く慎ましい(萌!!!)小市民をめざす~」

これですよ、もう。

実物をお見せできないのが、実にまことに残念である。


何でまた、買っちゃったかってえと、

こないだの岡山行、用事が終わり、後は帰るだけってので、

まっ昼まから、ビィルをかっくらっていた発掘屋。

(しかし、発泡酒をビィルと云って、ビィルの値段で売るのはやめれ。

一瞬、暴れ出しそうになっちゃった)

岡山駅の地下を、酔拳の練習をしながら、そぞろ歩く。

おっと、新幹線の中で読む文庫が切れてた(中毒症である)。

という訳で、寄ってみる地下の本屋。

こういうとこの本屋の常で、

品揃えがイマイチ、かつビミョー(註:個人的にです)。

けっこう迷って、創元社なら、まぁ間違いなかばいと思い、コーナーへ。


「・・・のわああああ!?」

(ボクの中では結構)何でもありの創元社ですら、これは何という挑発!

少年の、少女のまなざしがぁッ。

これは、オレを、オレを誘っているのかッ!?

もう、眼が釘付けですばい!

しかもタイトルが!「春季限定いちごタルト事件」!?

ミステリになるのか、コレ?


いやいや、ボクももう、30を過ぎて落ち着いた(はず)のオッサン。

いくら魅力的なキミに、そんな風に挑発的に誘われたって、

ネクタイ、もとい財布のヒモを簡単にゆるめるほど、ガキではありません。

ふッ、お譲ちゃん、大人をからかうもんじゃないぜ。

オレに惚れたら、ヤケドするぜ。

もうちょっと、いい女になって、出なおしてきな。

身を横たえ、濡れたまなざしで

「早く・・・」と待ちわびている彼女のその軆を、

大人の余裕で、やさしく(書店でのマナー)抱きかかえ、裏の解説を読む。


「・・・のわああああ!?」

ミステリでいいのか!?らいとのべるずではないのですか、これわ!!?

やるじゃないか、このオレのはぁとを、こんなに、こんなに揺さぶるなんて。

30過ぎたオッサンが、買えるのか、こんなの!?

とぅびい・おあ・のっと・とぅびい・・・

この世には不思議なことなど、何もないのだよ、関口君。

この世には科学で解明できないことが、いくらでもあるのさ、ホレイショー。

人生何万回目の岐路に立つ、発掘屋!どぎゃんすれば、よかとですか?


で・・・


くっくっくっくっ・・・甘くみたな、東京創元社。

コバルトも、ホワイトハート文庫も、フランス書房も守備範囲よ!

オッサンにはわかるめぇと、

かつて履歴書に、愛読書として相原真理子と書いてた発掘屋。


美味しくいただいちゃいました。


・・・鬼畜


評価:★★★☆☆

ま、読んではいよ。


今日の一文はyuntoさんの記事に、トラックバックさせてもらいました。

買うの、恥ずかしい表紙ってあるよね。

yuntoさんは西尾維新だったらしいですね。 

恩田陸著「ドミノ」

・・・宮部みゆきと間違えて、買っちゃたかと思った・・・

というカンジでございます。

うむむ・・・恩田陸の引き出しを、ひとつ見せてもらった気分だ。

考えてみると、恩田陸の物語のテムポの小気味よさは、

自分の中でも、体感済みではなかったか?


さてさて、物語は東京駅に集いし、27人と1匹の登場人物。

まったく何の関係のない彼らの中心には、爆弾が鎮座し、

それをめぐって、彼らは運命の意図に弄ばれるように・・・

スピード感・クスッと感は充分。

これだけ多くの登場人物を、自由自在に操る手腕はさすが!

恩田陸の言葉はシルクだけど、これはプラスチックのストーリーだ!

悪い意味じゃないよ。


評価:★★☆☆☆

限りなく星3つに近い2つ。もう一息。

今後の境地の開拓に期待して、あえて厳しい評価(・・・えらそうに)。