逍遥録 -衒学城奇譚- -29ページ目

キョーボーザイ

凶暴罪……もとい、共謀罪である。

あなたが会社の同僚と居酒屋で一杯やって、首相の悪口なんぞ云ってみる。

「あいつ、気に入らないぜ!あいつのせいで税金は上がるし、サラリィマンの暮らしは悪くなる一方……(ココに床屋談義みたいなのものが入ったりしちゃう)……ブン殴ってやりたい!」

「そうだよ、オレもそう思うよ。貌、ヤギみたいだし……(ココにも小利口な素人政策論みたいなのが入っちゃたりする)……やっちゃえ、やっちゃえ!」

気分よく呑んでいるお酒です。次の瞬間には、もう別の莫迦バナシで盛りあがります。

隣で呑んでた男性が、そっと席をはずし、こっそりケータイをかけたのにも気がつかず。

もう30分ばかり呑み、そろそろと立ちあがる。会計では「オレが、オレが」とのお決まりのやりとりの後、上手にワリカンし、機嫌よくノレンをくぐって店の外へ出ると……

「こんばんは~」

体格のよい、強面の制服警官が2人。夜だというのにサングラスかけ、ガムなどをくっちゃくっちゃさせてあなたたちを呼び止めます。後ろの警官は、何の必然性もなく警棒なんぞを、片方の手の平でポンポンさせてたりする。

「な、な、な、何ですか、あなたたちはッ!?」

「お2人がこのお店で、違法行為をおこなおうと話し合ってたって、通報がありましたので」

「そんなこと、してませんって!」

「またまた、ご冗談を。首相を殴ろうってハナシしてたでしょ?署までご同行願います」

「んな、アホな!帰りますよ、ワタシたち!」

「あッ!逃げるんですか!?捕まえろ!」

「どひゃー」

「お前には黙秘をする権利がある。弁護士を呼ぶ権利がある。これからの発言は後日不利な証拠として使われる可能性がある……」

「わー!いつから日本でも、ミランダ条項が適用されるようになったんだーッ!?」

……警官に押さえこまれるあなたたち。ねじりあげられた手首に、冷たい金属が押し当てられたのを感じる。

「何にもしてないのにッ!ボッ、ボクたちに、一体何の罪があると云うんですかッ!?」

必死でもがくあなたたちに、警官は冷たく一言。

「共謀罪だ」



……Fin……



あれ、おっかしいなぁ?何か変なカンジだけど。まぁ、いいや。

とにかく、コレは極端なハナシですが、この「共謀罪」ってヤツは、実際犯罪を犯さなくても「ヤッちゃおうぜ」「おぉーッ!」って話しあっただけで“罪”になっちゃうんですよ。後で「やっぱ、やーめたー」って云っても、ダメらしい。

うひー!酒の席で、ジョォクも云えやしないよ。



ヤヤコシクなるので簡単に説明すると、この共謀罪ってヤツは“国際的な犯罪組織”を“事前に”取り締まるための“国際連合条約”を、国内でも適用するために提出された「犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案(……早口コトバ?)」の中にもりこまれたものなんです。

日本ではその過程で、どうせなら国内でも事前に取り締まれるようにしようぜ!おこしてもいない犯罪も取り締まろうぜ!って盛りあがっちゃったんですね。だ~れかさんが。

これまで2回、国会に提出されましたが、あんまりヒドイ法案なもんで、与党内でも「ダメだこりゃ!」とサジが投げられた法案。

でも今回はとおるんじゃないかな?

なにしろ衆議院は、3分の2の巨大与党がおり「コーゾーカイカクッ!」って魔法の呪文を唱えれば、誰も彼も催眠術にかけられたように、どんなことでも「サンセー、サンセー、マンセー、マンセー」になっちゃうんだから。

為政者はいつだって国民を監視下におきたいですし(国勢調査なんて最たるモノ)、何か不都合があったら、規制して言動を封じこめることが一番ですしね。ボクだってそうするよ。

今は権力の内側にいるソーカガッカイは、過去自分たちが犯してきた行為が正当化されるし、敵対集団を犯罪者と規定することができるから、諸手をあげて大賛成ってとこかな。



おこしてもいない犯罪を取り締まるって、どうするかというと、当然密告(自首してきた者は罪一等減じると明文化!スゲーッ!)、盗聴、検閲やネット社会の監視、ひょっとしたら留守中にこっそり家の中に忍びこまれて、家捜しされちゃうかもしれないですね。

いっつもビクビクして、発言も気をつけなきゃいけませんね。イヤな世の中ですよね。息苦しい世の中ですよね。

こんなコト書いてるボクなんて、もう監視の対象だよ(何?お前みたいな小物、誰も相手にしないって?ごもっとも)。



繰り返しますが、これはもちろん極端なハナシです。そんなバカなハナシがあるものかと思うヒトもいるでしょう。

でも法律はいつだって都合よく解釈されるし、拡大解釈された法律を後ろ盾にして、ヒトはどれだけ残忍に、傲慢になれるかってことは、皆さんもよく知っていると思います。

拡大解釈されないようにって、祈りながら生きてかなきゃなんないんですかね?



過去の歴史に“if”はありえません。でもね、未来には無数の“if”があるんですよ。

その中で一番よさそうな“if”を選んで、未来へと手渡すことが、ボクたちの仕事。

それが未来へのリレェ。さぼれないんですよね、コレばっかりは。



追記っぽいもの

衆議院選挙で小泉自民党を熱狂的に支持された方々のサイトを、いくつか見てまわりましたが「共謀罪」や「人権擁護法案」なんかに対する言及は、どういうわけかあまり見られません。

賛成なんですかねぇ?

トラステ賞

物語のきざはし』


(Ⅰ)

「庸子ちゃん?上田さんにおめでとって云って!ケータイ、つながんないの」

「ハナさん?え、何、どうしたん?」

「どうしたじゃ、ないでしょ、とぼけて!上田さん、○○賞入選したんでしょ!?」

興奮したハナが口にした賞は、これまで上田が入選してきたものとくらべて、格も知名度もはるかに高いものだった。

「わぁ!すごい!すぐ見てみる」

ケータイを切り、胸をはずませ、大学の近くの書店に駆けこむと、文芸誌のコォナァに平積みされている、厚みのあるその雑誌を手にとる。優秀賞―――上田斗志岐の名前が、真っ先に眼に入った。心臓が2倍に膨らんだような昂揚。

我慢できずに、ペェジをめくる。上田の文体だ。彼独特の、彼にしか書けない、彼だけの文体だ。庸子が魅せられ、心から愛した上田の物語だ。

5分、10分と読みすすめるうちに、膨らんでいた庸子の心臓が、突然凍りついた。

ウソだ……そんな!?あわてて他のペェジをめくる。ここも、ここも……最後の場面……ここも……どうして……?

とまどいが胸の奥に広がる。気がつかないうちに、雑誌を閉じていた。


小説にあこがれる、ただの高校生だった遊佐庸子が、初めて地元在住の作家上田斗志岐と“出会った”のは、彼のサイトでだった。そこは上田が主宰する、各自が持ちよった作品についての意見交換や、書評をおこなう穏健なサイトで、居心地のよいサロンめいた雰囲気があった。

上田は若いころからいくつかの賞を受賞して、すでに作家としての地位をある程度確立しており、サイト上に公開する作品は、投稿された他の作品とくらべても、やはりずば抜けて優れていた。

彼の小説は穏やかで、やわらかく肌になじむ感じだ。最初は水のようになめらかに内側に入ってきて、ある瞬間に、自分の中にあふれんばかりに満ちていることに初めて気がつく。

読みすすむうちに、彼に強く魅せられていくのを感じた庸子は、掲示板にコメントをのこした。庸子も含めた幾度かのやりとりの後、上田自身のコメントが載った。

……(庸子のHN)さんの云うとおり、小説を書くということは、それが外側にある事象をモチィフにしていても、自分の内面に取りこまれた(心象的な)映像を再度、外界に投影するという段階をふんでいる限り“自分”からは、決して逃れられないと思うのです。

物語がおもしろくないのであれば、それは僕自身の心の未熟さ、未成熟さのせいです……』


僕自身の心の未熟さ、未成熟さ……

何て危うくて、頼りなげな大人の言葉なのだろうか?上田の物語に魅せられていた庸子は、さらに上田という個人に惹かれていくことになる。

自身の小説を投稿し、論議に加わり、庸子はそのサイトの中に、段々と自分の居場所を作りあげていった。


初めて彼と出会った日のことを、庸子は生涯忘れない。

サイトのメンバでのオフ会だった。夕方6時、そして予約されていた店から、アルコォルが供される場であるということは、充分予測できたことなのに(案内にも書かれていた)、地下へ降りる階段を前にして、初めてそのことに思いいたった。どういうわけか、皆でお茶でも、という雰囲気を勝手に連想していた。実物の上田斗志岐に会えるという期待だけが、先行していたのだ。

初めての店に、それもおそらく自分より年上の人たちの中に入りこんでいくには、気後れがする。

もう6時半に近い。ひょっとしたら、皆もうお酒呑んでるかもしれない。あきらめて帰るか?いや、せっかく上田斗志岐に出会えるのに。それに掲示板でハナシをした人たちと、顔を合わせる機会を失うのもいやだ。大体、参加って申し込んでおいて、急にキャンセルしたら迷惑をかけるんじゃ……

階段の前で躊躇する庸子の脇を、1組の男女が通りすぎた。男性がちらりと庸子をみやり、階段を降りかけて脚を止めた。振り返る。

年齢は30をいくつかすぎたくらいか。柔和な表情、眼鏡の奥の瞳は小動物のようにおだやかだ。何かを思い出すように、庸子を見つめていたが、意外に確信的に訊ねた。

「ひょっとして……?」

隣の女性が、驚いたように庸子を見つめる。彼が口したその名が、自分のHNだと思いつくのに、少しだけ時間がかかった。

「はいッ!……あ!」急に直感した。「……あの、もしかして、上田斗志岐さんですか?」

「ええ」

「わッ!」思わず声が出た。「すごい。はじめまして!遊佐庸子って云います!あ、HNは友達の名前で、ホントはええと、遊ぶに佐藤の佐で遊佐。庸子は、中国の四書で『中庸』ってのがあるんですけど、平凡っていうような意味で……高田馬場の決闘とか、忠臣蔵で有名な堀部安兵衛武庸(たけつね)の庸の字で……あの、わかりませんよねぇ……?」

「いや」上田は笑いながら「わかりますよ。堀部安兵衛ですね、16人斬りの。伊保里さんも知ってるでしょう?」

隣の女性がおかしそうにうなずく。

「そう、その庸です!」

嬉しくって、飛び跳ねる。


(Ⅱ)

上田が庸子のものになるまで、長い時間が必要だった。彼は庸子よりはるかに大人であり、隣には将来上田伊保里となるべき女性がいたからだった。

月が欠け、そして満ちていくように、時は流れた。それは奇妙で危うい蜜月だった。

小説はずっと書いていたが、読むのはもう上田だけだった。上田は庸子の物語を読み、デビュできるよとよく笑った。庸子はその度に、そんなこと無理だよと笑い、彼に軆をあずけた。

「いや、人を惹きつける物語を書くってことは、技術じゃないと思うよ。きっとそれ以上のものが必要だ」意外にまじめな顔で「文章のうまさのその先に、物語自体の輝きがある。これは習得したくても、できるものじゃない。それを持って生まれてきた者、自分の言葉として表現できる者が、本当の物語の書き手だ」

「物語のきざはし、だね」

「何、それ?」

「ほら、曇り空のすきまから、太陽の光が差しこんで、まっすぐな光の柱みたいになるでしょ?それを伝って、物語が天使みたいに地上に降りてくるんだよ。薄暗い曇りの日に、光が差したその場所だけは明るくって、物語が降りてきたそこに生えている樹や草は、他のものとは全然違うと思うの」

「特別な場所に生えている樹や草……?」

とまどったように、上田はつぶやく。庸子はそんな上田の表情がおかしくって、無邪気につづける。

「うん、あたしは上田さんみたいに難しいことはわかんないけど、ホントにいい物語を書くことができる人って、きっとそんな特別な樹や草を探し出して、スケッチブックに写しとることができる人のことじゃないかな?」


「こんなハナシ考えた。ちょっと書いてみたの」

プリントアウトした庸子の物語を、上田はしばらく食い入るようにながめていた。

「どう?」

 わずかな沈黙の後、上田は答えた。

……庸子の物語、どんどん削ぎ落とされていくね。余分なもの、冗漫なもの、いらないものが剥ぎ取られていって、研磨されて、少しずつ透明になっていってる」

「砥石がいいから」

……僕のこと?」

「そう」庸子が笑う。「上田さんが見てくれてるから」

上田はじっと庸子を見つめる。霞の向こうの、どこか遠い場所を見るような眼をしていた。

「これは、ゆっくり読ませてもらえるかな」

「いいけど。ね、上田さん、また何か応募するの?」

「う~ん、そうだなぁ。最近は仕事も入ってくるようになったから、なかなか体が空かないな」

「でも、ホントに書きたいものじゃないんでしょ?結構、ぎちぎちしてるよ。いいハナシ、書いてほしいな」

「そうだな。もう少し高いハァドルにでも、挑戦してみようかな?」

上田はそう云うと、ちょっとこまったように笑った。


もちろん肉づけしなおされ、練りなおされてはいたが、上田が受賞した作品はまぎれもなく、その時庸子が彼に渡して、そのまま忘れられていたあの物語だった。


彼のアパァトにたどりつき、何度かドアを叩いたが、返事はない。庸子はポケットの中の合鍵を使って、中に入った。スニィカを脱ぎすて、部屋にあがると、まったく動かない空気を感じた。

いない……

文学賞の発表の当日、入選者がのんびりと、自分の部屋にいるなんて、どうして考えたんだろうか?そんなこともわからないほど、自分は混乱しているんだろうか?

部屋から出ようとして、ふとテェブルの上に置かれているノォトパソコンに、眼が留まった。ここから彼の物語は生まれた。そしてまだ顔も知らなかったころ、これが庸子と彼をつないでいた、唯一の糸だった。

自分の物語を彼が使ったとか、そしてそれが何らかの賞をとったとか、そんなことはどうでもよかった。

どうして上田は、自分の物語を、自分の言葉を、情熱を、手放してしまったのだろう?これは裏切りだ。

胸が苦しい。庸子はその場に座りこんだ。膝を立て、すべての困惑を頭の外に追い出すように、顔を伏せた。


どれぐらいの間、そうしていただろうか。庸子はのろのろとポケットからケータイを取り出した。長い呼び出し音がつづき、途切れる。はるかな空間をへだてて、彼のかすかな息遣いが伝わる。

「遊佐です」

誰がかけたのか、相手にわからないはずはないけれど、庸子は名乗った。

「おめでとうございます」

枯れた小枝のように、ぎこちなく、庸子は聞きとれないほど小さくそう伝えた。惑乱を越えて、でも、信じがたいほどの薄さで、硬く、純粋に結晶したような言葉。

電話の向こうの沈黙が、かすかに揺らいだ。そして庸子は、静かにケータイを切る。


「誰ですか?」

対面の記者が、いぶかしげに尋ねた。上田は答えずに、凍りついたまま、もう何も伝わらないケータイを見つめていた。不思議なほどに平静だった。後悔も罪悪感もない。ただ自分が取り返しのつかないものを、失ってしまったことだけはわかった。だから何も云えなかった。

窓の外では、宵闇だけが濃くなっていく。


(Ⅲ)

あの日上田斗志岐が死んだこの場所で、庸子と伊保里は、秋の終わりの厚い雲と風と、それ以外の冷たさに震えて耐えていた。ずいぶん久しぶりに電話で話した伊保里が、この場所で会いたいと伝えてきたのだ。

知名度の高い文学賞を受賞した作家が、発表のその日に自殺したニュウスは、一時世情を騒がせ、人々は彼を区分し、様々なレッテルをはることに狂奔し、そして飽きた。

庸子の元に上田からの葉書が届いたのは、彼の死の翌々日のことだった。


伊保里は庸子が差し出した葉書を無言で受けとると、眼を落とし、長い間じっと見ていた。

『僕の創作した物語で、多くの人たちの心をとらえたかった。僕の物語で、ほんの少しでもこの世界を震わせ、世界のどこかに僕の名前を刻みたかった。それが僕のささやかな夢でした。

物語のきざはしの話をしたことを憶えていますか?あの時すでに、君は僕の言葉よりはるかに遠い場所にいました。僕には決して手の届かない場所です。僕がいつか、たどりつきたいと渇望していた場所です』

彼のバッグにいつも入っている、何枚かの葉書のうちの1枚につづられた、長い時間を歩きつづけて、彼がその直前に書きのこした、わずかな言葉の群。

それだけだった。さよならも何もない。ただ最後に、何かを書きかけて、消した跡だけがのこる。そこに記されるべき言葉は何だったのだろうか?


……彼、ワァプロじゃうまくカンジが出ないって云って、必ず手書きして、それから清書してたの」

長い沈黙の後、葉書から眼を離さず、伊保里はつぶやいた。

「あたしは、彼が手書きしてたとこ、見たことないです」

「それがあなたと私の差よ」

「でも、彼が最後に言葉をのこしたのは、あたしにです」

次の瞬間、伊保里の平手が、庸子のほほを激しくぶった。

伊保里はもう、葉書に眼を落としていなかった。燃えるような眼で庸子をにらみつけ、庸子をぶった方の手は、激しく震えていた。

「何で、あなたなんかに……」

伊保里が庸子をぶつ。何度も、何度も。

その瞳が潤み、涙がこぼれ落ち、伊保里は手を止めた。幾粒も、幾粒も、壊れたように涙を流した。

気がつくと、静かに庸子も泣いていた。顔を赤くはらせて、声もなく泣いていた。

庸子と伊保里、人の形をした柱のように立ちすくみ、2人はただ涙を流しつづけていた。


(Ⅳ)

別れはあっけないほどだった。さんざん泣いた後、真っ赤になった眼のまま、「じゃ」と、伊保里はあっさり別れの言葉を口にした。

「いつまでも付きあってられないわ、あたしはさっさと忘れてしまうことにするから」

ウソばっかりと思いながら、庸子は答えた。

「あたしは忘れません」

「忘れてしまいなさいよ、あんなズルい意気地なし。何もかもあなたのせいにして、勝手に陶酔して、絶望して、勝手に死んでしまって、莫迦よ、ワガママよ……あー、もうッ!だいったい、何で10も年下のガキに、あたしがこんなこと云わなけゃいけないわけ?」

「11です」

「うるさい」

庸子を軽くにらみつけ、くしゃくしゃになった葉書を返すと、振り返りもせずに気高く去っていった。気がつくと、あちこちの雲の切れ間から、陽の光がやわらかく降りそそいでいた。

上田からの葉書は、ボォルペンの文字が、庸子か伊保里かの涙でところどころにじんでいた。ポケットにしまうと、そこだけがほんのりと暖かく感じるのが嬉しい。でも何か貴重で、質量のあるものを手渡された感じだ。


……彼はあがいていたのだ。庸子は考える。疲れて、見えないところで傷つき、眼の前の一線を越えようとしても、何かが押しもどす、そんな力に挑んで。

でも、彼はその力に敗けた。いや、敗けたのではない。進むことをやめたのだ。彼は限界に達していた。だから敗北に逃げこんだ。

初めてのコメントで垣間見た、彼の危うさ。自らを未熟、未成熟と云い、未完の自分を満たし、いつの日か完結させることを望んでいた彼。

彼にもっと力強くそれを押し返す力があったら、あたしを平然と踏みつけることができる強さがあったら、彼の物語は、もっと広々とした地平に降り立つことができたかもしれない。繊細さや優しさだけでは、人は上を目指せない。そしてそのことを、誰よりもよく知っていたのは、きっと上田自身だった。

自分の物語が、あの時彼を責めなかったことが、彼の心を傷つけたのだろうか?

彼には見えていた何かが、あたしの中にあるのだろうか?自分が持っているものに、そんな価値があるかどうか、見当もつかない。あたしはただ、自分が失ったものが何だったのか、わからなかっただけだ。

ズルいよ上田さん。庸子は小さくつぶやいた。自分の弱さ、わかってたくせに、全部あたしに押しつけて逝っちゃって。

どうすればいいのだろう?彼の失ってしまった夢のかけらをつなぎ合わせて、もう一度この世界に投影するのだろうか?いつかそんな日がくるのだろうか?……答えは出ない。でも……

庸子は歩き出す。上田斗志岐が最後に生きていたこの場所を離れ、伊保里とは逆の方向へと。

厚い雲の間からさしこむきざはしを伝って、まるで物語が降りてきたかのように、世界は淡い輝きにつつまれていた。


(了)

銃に花を飾らないでください

先日、世に倦む日日 さん からトラックバック いただきました。

多くのデェタと知識を持ち、鋭い視点を持たれている、硬派なサイトで、学研の「最新ブログランキング200」にも掲載されたそうです。

衆議院選の前後に、初めて訪問させていただきましたが、今回もまたトラックバックいただいたんですが……

革命、ファシズム、新自由主義……ヤベェ、むずかしすぎるぜ……

お返ししたくっても、マジメなネタなんて選挙のころに、引き出しひっくり返して書いたっきり、もうないよ。

逆さに振ったって、鼻血も出やしない。どうしよ……

しょうがない。発掘屋お得意の、感覚的世界相のおハナシでもしましょうか。


皆さん、センソー好きですか?

誰かと誰かが殺し合いをして、誰かが誰かを殺し、誰かが誰かに殺され、血が流れ、肉がただれ、骨が砕け、人が焼かれ、家が焼かれ、町が焼かれ、森が焼かれ、山が焼かれ、水が沸騰し、火薬の匂いのする空気、モノの腐った匂い、人が腐っていく匂い、空を切り裂く爆音、戦闘機のエンジン音、銃の炸裂する音、振動する大地、震える町、叫び声、子どもの、老人の、女性の、若者の叫び声、科学が人を殺傷するために、恐るべき残虐性を顕し、ありとあらゆる原子が、破壊のために信じられない速度で一点へと収斂し、世界を蓋う、限りない恐怖、怒り、憎悪、哀しみ……そして死、死、死、死、死、死……

……好きですか?


賛否はありますが、ボクたちの国は、他国と軍事的な衝突に対面しなかった60年をすごしました。

おそらく歴史上、日本という国が体験した、もっとも平和で豊かな60年でしょう。


今、再び戦争をすることができるように、憲法第9条を改正しようとする意見があります。

国際協力ならば可であるとか、北朝鮮の侵略に対する備えが必要であるとか、戦争行為そのものはみとめられないとか、その捉え方には差があると思うので、一概に判断することはできませんが、国民の心の中の、戦争に対する禁忌が薄れてきているのは事実のようです。

ボク自身、改正には反対をしますが、この記事では、その是非を語ることはなく、日本人がどの時点で、その禁忌から脱却したのかを、少しだけ感想をのべてみようと思います。


ボクが考える、そのタァニングポイントともいうべき地点は、昭和64年の“昭和天皇の死”にあります。

「耐へ難きを耐へ 忍び難きを忍び……」

という、例の玉音放送を以って“神”から“人”への降臨をはたしたあの方。同時に、連合軍に敗北したことを、如実に表す“敗戦の象徴”とも云うべき存在になりました。

敗戦直後・復興・発展の途をたどる中、日本の“戦後史”とは切り離せない存在であり、眼に見える“日本の敗北”として、ボクたちの心の中にいました。あの方が生きていることは、ボクたちに常に突きつけられていた“敗戦”の事実だったのです。

戦後の繁栄を謳歌しつつ、ボクたちは、その姿を眼の端に見、「戦争はいけないことだ」と口にしながら、胸の奥で自分ですら気がつかない苦々しさで“神”から“人”へひきずり下ろされた“敗戦の象徴”を崇めていた敗者でした。それは屈折した感情です。あるいは、そうとも知らず、憎んだ者もいたかもしれません。


そしてその日、長い間日本人の心に蓋をしていた“敗戦の象徴”がいなくなりました。

日本人は、前の大戦の敗北という屈辱の鎖から、解き放たれたのです。最初はおそるおそる、つづいて目端の利く者が、そしてカナリヤがさえずるのを確認した世情が。


“敗戦の象徴”が存在しなくなったことによって、惨めな戦争・敗戦の事実までなくなったように感じました。代わって強い日本、偉大な日本、優れた日本が、過去から現在まで、途切れることなくつづいていたような気分になりました。無責任に、傲慢に、夜郎自大に。

平成に入ってからの国力の低下も、現実ではない幻影の強さにすがる原因になったのではないかと思います。

そうなると、敗戦の事実はきわめて気分の悪いものです。でも、勝者であるアメリカをはじめとする連合軍に対して、楯突くほどの度胸はありません。原爆を落としたヒトゴロシ国家、劣等民族なんて言葉は、口にできません。欧米人は自分たちより優秀だ、強いんだという意識は、敗戦から戦後数十年の間に、遺伝子レベルにまで刷りこまれているのですから。

出口を失ったプライドは、一体どこへ向かうことになるでしょうか?

幸いなことに、日本には畏怖心を持たずに見下げることができる国が、周囲にいくつかありました。歴史上ある期間、実際支配下においていたこともあります。そしてそれらの国も、ボクたちの国に深い恨みを抱いています。好都合です。ボクたちは、剣先を一体どこに向けているのでしょうか?


昭和天皇の死によって、ボクたちは“敗戦”を脱却しました。昭和天皇は自分の死とともに、日本人の敗北を持ち去ってしまったのです。

今“敗戦”の事実は、歴史のかなたに遠く去り、ボクたちは自由です。

たくさんの人を殺す兵器を持つことも、他国を攻めることも、ボクたちの手にゆだねられています。

しかし、戦争という行為とまっすぐ向き合ってこなかったため、日本人は無知のまま、裸のまま放り出されたようなものなのです。


忘れていませんか?

戦争とは、人を殺す行為なのです。

軍隊とは、人を殺すための道具を持ち、人を殺すための訓練をした集団なのです。


もう一度、ボクは考えます。

ボクたちは戦争が好きなのだろうか……と。


好きでないのなら、どうか……銃に花を飾らないでください。

ディディエ・ヴァン・コーヴラール著 「妖精の教育」

恋人から別れを告げられたゲェムクリエイタの二コラは、傷ついた心を隠し、日常生活をすごしています。

生活に不自由はないものの、仕事でも充足感はなく、義理の息子ラウルとの関係もぎこちないまま。

圧政下のイラクを逃げ出したセザールは、本の中で夢見ていたフランスとはまるで違い、

冷たく、よそよそしく、大学への入学許可をもらえない、待つことに狎れた失意の毎日を、

スゥパァのレジ打ちのバイトをしつつ、すごしています。


2人が出会うのは、セザールの店で二コラが買い物をした時、客と店員としてだけ。

スゥパァは、硬質な照明で、どこにも影ができないほど明るく、

カゴの中の商品は、どれもきれいな袋に包まれています。

ニコラは奇妙な物を、思いつくままに買い続け、

セザールはニコラがそれをどのように使うかを、密かに想像し、

お互いがその距離のまま、2人の関係はそれだけで終わるはずでした。

セザールがレジスタごしに彼の哀しみを感じ、二コラがそれに共鳴するまでは。


彼らがおこす小さな奇跡は、妖精の記憶を取り戻し、

苦悩のはてに、ニコラを突き放そうとする、二コラの恋人イングリッドや、

世界を知り、妖精を信じようとしない、イングリッドの息子ラウル、

何人かを、ほんの少しだけ幸せにします。そんな物語。


作者のコーヴラールは、写真を見たらなかなかのハンサムで、追っかけまでいるとのことです。

フランスでは国民的人気作家らしく、小説や戯曲で活躍しているそうです。

97年には、文庫本読者大賞を受賞しました。


さて、ボクの感想ですが、それなりにおもしろくはありましたが、別にそれだけ。

ちょいとこじゃれた、文学者きどりの気分にひたりたい方には、オススメ(してるのか、コレ?)。

この本は図書館で借りたものです。自分で買う時は、どうしても自分の好みの物語になっちゃうので、

図書館では、なるべく自分じゃ買わないようなものを借りて、新規開拓に努めています。

ビヴァ、ライブラリ!


評価:★★☆☆☆

コーボク論

ども!コイズミカイカクとやらで、諸悪の権化のように注目をあびつつある、コームイン!発掘屋でございます。

いやー、ユーセーミンエーカとやらで、コームインの数を減らすってことが、すっかり国を建てなおすための、最善の方法のように思われている昨今ですけれど、ホントなんでしょうか?

ボクはコームイン(チホーコームインですね)ですので、矢面に立たされているこの問題について、少しばかり語ってみたいと思います。しばしのお付きあいを。


さて、郵政民営化に賛成も反対の人も、コームイン数が削減するってことはイイことだ!という主張に、どうやら差はないですね。

では実際、コームインであるオマエなどうなんだ?と訊かれたら、ボクもやっぱり削減には賛成です。

コームインの給与が、財政を圧迫している一因であること、制度やシステムの改良により、今後簡単な事務仕事の量が減っていくこと、官の仕事を開放し、市場の活性化を図ることの重要性を考えた場合、削減して効率化をはかることは有効です。

ただし、その時のシステム変更にともなう、一時的な出費が莫大なものになることを、彼らが想定して発言してるのかどうかは疑問。


しかし、小泉氏や彼を支持する人々の論が現実的でないのは、ただ「コームインを減らす!」とだけ云っていることです。

考えてみてください。コームインって、どんな仕事ですか?

役場や県庁、学校や幼稚園、自衛隊や警察、消防隊、郵便局、裁判所まで、皆コームインですよね?

彼らを「さぁ、クビチョンパだ!」って、機械的に減らすんですか?

ん、まぁ、もちろんそんなことは思ってないでしょうが(思ってたら、ホントの阿呆)、そのことに言及せずにただ「減らせ!」って叫んでるだけじゃ、コームインを減らすってことだけが、裏づけもなく、無意味に先行しちゃうわけですよね。

たとえば、警察や消防隊が減って問題ないと思いますか?今でも足りないって云われているぐらいですよね?皆さんもわかると思いますが、減らせる部門と、減ったらこまる部門があるんじゃないですか?

そのことを考えずに、ただ減らすことだけ云っていますね。

小泉氏はそのことに言及してるんでしょうか?もしかしたら、してるのかもしれませんが、ボクは聞いたことありません。

どういうことかと云うと“ただ”減らすのではなく“どう”減らすのかが大事と思うんです、ボクは。


「民にできることは民に」・・・正論です。まったく異論はないです。

しかしその次の段階「では、何が民にできるのか?できないのか?」という視点は議論されたでしょうか?


米や野菜を作れば、必要な人がいるので売れます。パソコンやケータイも同様ですね。

家やビルを建てたり、道路工事なども、必要な人がいて、お金をはらう人がいるからビジネスになります。

情報やニュゥスも発信元と受け取り手がいます。ブログだって、ボクたちはタダで使っているように思えますが、宣伝のために企業がお金を出しているので、成りたっています。

経済(もしくは市場というか)というものは、売り手と買い手、双方の要求が一致したところに生じます。


ややこしくなるし、現実的でないので、ここでは市のヤクショを例にあげて、なるべく単純にハナシをすすめます(実際問題として、警察や裁判所を民営化しようと考える人は、いないと思います)。

ヤクショの仕事は簡単に云うと、市民から預かった税金を、市民のために上手に運営することです。

税金を徴収したり、悪い道を舗装したり、学校を建てたり、下水道を整備したり、観光の宣伝をしたり、それから災害がおこったときは復旧させたり、そんなことです。

もちろん道路を作ったり、下水道を整備したりとかは、コームインが自分で工事するわけじゃありません。専門の業者に委託をするわけです。

確かに仕事内容だけ考えたら、わざわざコームインじゃなくったって、誰でもできるように思えます。

ですが、これをヤクショでなく、市民が自分たちで業者が契約して、おこなえると思いますか?

業者にはらう給料は、どこから出ます?装備や備品のお金は、どこから捻出します?

恩恵を受ける国民が、出さなければならないわけですが、どう考えてもそんなことは不可能ですね。

皆、自分の家は自分で建てるでしょうけど、道路までお金をはらって舗装することはできませんよね?


そこで集まった税金を、市民の要求にしたがって“公共の利益”のために使うのが、ヤクショなのです(ちょっとエラそう)。


さらに教育・福祉などは、もっとハナシがむずかしくなります。

国民に平等な教育の機会を保障するのは、行政の大切な役目です。

これも教育を受ける側が、教育してくれる人に報酬をはらって受けることは、現実的に不可能です。

だから主に学校教育が、その任にあたっています。

私立学校のように、教育を経営としておこなうケェスもありまので、一概には云えませんが、私立学校でも、授業料や入学費だけでは運営はおこなえませんので、税金の恩恵を当然のように受けていますね。

福祉も同様です。業者が充分な介護をしてもらおうとしたら、莫大なお金がいります。

それでいいと云う、大金持ちの人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は不可能でしょう?


また、それとは別に、利益の生じようがないので、民間企業が参入できない部門というものがあります。

文化面がそうです。

図書館などは、ただで本を貸すのですから、まったく利益はありません。

博物館や美術館なども、格安の入館料で運営していますので、貸館業務などと並行させないかぎり、利益は微々たるものです。

それぞれの市町村には、昔からのこっている文化財があると思います。これは市民の共通の財産であるので、当然大切にされなければいけません。それらの管理や整備もコームインの仕事です。


誰もお金をはらってくれないのに、ただで何万冊も本を置き続けることなんて、できませんよね?

何百万もする美術品を購入して、展示するなんてよっぽどのお金持ちでないと、不可能ですよね?

古墳や史跡公園の草刈をしても、誰もお金はらってくれませんよね?

それから特殊な例として、発掘調査があります。開発しようとした場所が昔の遺跡だった場合、発掘調査をしなければいけません(吉野ヶ里遺跡や、三内丸山遺跡を想像してください)。開発によって、破壊されてしまうからです。

しかし、一体誰がその費用を出すと思いますか?

そんな1文にもならないことに、誰もお金は出さないんですよ。

言葉は悪いのですが文化や芸術は、金にはならないのです。しかし同時に、金には換算できないのです。


これらのものは必要ではない、全部なくしてしまってもかまわない!という人がいましたら(実際、いる!)、その人とはハナシはもう永遠に交わらないと思いますので、ボクはもう知りません。

しかし、そんなものが全部なくなった世界、居心地がいいと思いますかねぇ・・・?人はパンのみにて生きるにあらずですよ。


そこんとこが、どうしても“民”にはできない部分なんですよ。

金にはならないけれど、やらざるをえない必要なコト、利益を追及しなければならない“民”にはできない、“官”がしなければならないコトなんです。

もちろん、これは大雑把な区分けです。もう少しつめれば、整理されるでしょうが。

何か、お金お金ばっかり云って、品のないハナシになっちゃたが・・・


さて、コームインの仕事はこんななんだっ!てばかり云ってたら、シラケられてしまうでしょうから、これからは少し、建設的なハナシを。


今後、ヤクショの仕事も、ネットワァクシステムの普及や事務の簡素化によって、窓口業務のような一般事務は減少していくと思いますし、そうならなければウソです。

たとえば、住民票などの必要な書類は、ネットワァクシステムを充実させることにより、コンビニや郵便局などの出張所で、将来的には自宅からでも、とることができるようになるかもしれません。

一般事務は電算化をすすめ、コストダウンをはかり、簡素な業務は委託することにより、スリム化をはかってます。

ただし、委託自体が、仕事内容とコストとのバランスがとれているかどうかは、まだ疑問の余地があります。基本的に委託するということは、お金をはらって仕事を頼むということですので、単純にコストが下がるというわけではありません。

とにかく、その方面については人員の削減は可能でしょうし、現実に地方のヤクショでは、かなりのスピィドですすんでいます。

民間企業はそんなスリム化は、もうとっくにやってるぞ、やっぱりヤクショはアクションが遅い!という批判もありますが、もっともです。もっとヤクショは、世の中のスピィドについていく努力をせんといかんですね。


そうなってくると、これからヤクショはどんな仕事をすればいいのか?

一般事務の仕事量が減ってきたら、必然的にそれ以外の部署の比率が大きくなってきます。

政治を、総合的に判断することのできる行政部門、地方分権によって、負担が大きくなる法律部門、上で書いたように、利益を生み出しにくいが、市民生活をする上で必要な教育・福祉・文化などです。

現実ではこれらの部門の比率は小さく、そのことがスロゥテムポの行政、かゆいところに手の届かない行政になってしまう一因でもあると思います。


つまり、これからヤクショが目指していかなければならないのは、専門性の高い行政組織の再編ではないでしょうか?。

もっともこれはヤクショだけのハナシで、全体を見渡せば、見合った将来像が出てくるはずです。

それをひとつひとつ精査していき、きめ細かに改革していくことが、本当に必要なことだと思います。


さて、これからは少し感覚的なハナシ。

コームインは優遇されているとよく云われますが、今から40年ほど前は「コームインになるヤツはバカかお人よししかいない」と云われた時代があったのを、ご存知ですか?

右肩上がりの成長をとげている中、わざわざ給料が安いコームインになるのは、アホか無能なヤツだという風潮があったのです(ま、ちょっと否定しがたいとこもあるが・・・)。

高給を求めて民間企業に就職する人がいるように、生活の安定を求めてコームインになるのは、同じように“職業選択の自由”だったわけですよ。

また、今は不景気だから、コームインの給与もそれに合わせて下げないと不公平だ、とも聞きますが、かつてバブル絶頂期だったころ、コームインの給与が低くて不公平だから、もっと上げてやれってハナシ、聞いたこともないですね。


コームインは仕事をしない、コームインはぬるま湯につかっている、コームインはコーボク意識が低い・・・

コームインに対する、様々な批判はよく耳にします。

実際、意識の低いコームインも少なくありません。

私見を云えば、50代後半の団塊の世代、まだお役人根性が抜けきっていない輩、多いです。

ですが(当たり前のことですが)、そうでないコームインの方が、はるかに多いのは事実です。

一部を見て全体を語るのであれば、それはどのような職種でも、当てはまると思います。

もちろん、ムダ使いが多いとか、予算の使い方が不透明だといった悪弊もあります。汚職がないわけでもありません。しかしその都度、制度を変えたり、綱紀を引きしめたりして、少しでもよりよい方向に持っていこうとしているのです。

でもまぁ、ボクはしょせんコームインなわけだから、どうしても自分に甘く考えちゃうから、今日のコトも、ハナシ半分ぐらいに聞いとってくださいな。


コームインは一生仕事を保障されて、リストラがないから、それにアグラを書いてる、とも云われます。

しかし、その代わりというわけではないですが、ボクたちにはストをする権利はありません。

労働基本権の一部が保障されていないんです。国民として当然の権利がはじめから剥奪されたまま、仕事しているのですよ。

でも、これはボクたちの仕事の性質上、ヤムをえないことだと思っています。

仮にリストラを断行しても、無能な者ほど処世術に長け、組織の将来を憂いて、厳しい発言をして、上にうとまれてリストラの対象になったり、有能な人材ほど会社を見限っていなくなったりしませんか?皆さんのまわり、そんなヤツいません?


最後に、皆さんに知ってもらいたいのは、ボクたちコームインは、皆さんと同じサラリィマンなんだってこと。

ボクたち、無償で仕事やってるわけじゃないんですよ。

仕事して、それにみあった給料をもらって、きちんと税金をはらってる“国民”なんです。

仕事の性質は違うかもしれませんが、皆さんと同じ“国民”なんです。

それを国家の敵に祭り上げたのは、誰ですか!?

“国民”を国家の敵とみなすような人物など、ボクは信じることはできないし、国民の上に立つべきではないと思います。


ついでに、郵政民営化のハナシ。

賛成する人は、特殊法人などへのムダな金の流れを断ち切り、財政の健全化がうながされることに賛同し、反対する人は、郵便事業の維持がむずかしくなることに危惧をおぼえているようにみえます。

コレじゃあ、いつまでたっても議論が噛みあうわけないですよ。だって双方、まったく別の視点から郵政民営化ってヤツを、見てるんですから。

郵政民営化のハナシ、コレだけでやっと。だってボク、あいきゅう低いんだもん。ね、竹中さん。


ただねぇ・・・郵便局でやってたこと、何でもかんでもコンビニでやれる。だから郵便局は不要って感覚、どうにかした方がいいんじゃないかなぁ・・・?

波のうねりの律動のまにまに、無限の想念を、有限の大海原の上に、揺るがせながら、行く

「ハイ、サッ、ソーレ! ハイ、サッ、ソーレ!」

艇指揮の号令が響く。

“ソ”の声に合わせて、漕ぎ手は体重をかけ、渾身の力をこめてオォルを漕ぐ。オォルの先に波の抵抗を感じ、自分の力が艇の推進力に転換されていくのを知覚した。オォルが海面から抜かれ、隣の漕ぎ手と肱がぶつからないように、体をおこしながら手元に引きこまれ、掛け声に合わせて一斉に漕いでいく。
オォルは何度も何度も、力強く波をかき分け、東へ進む力となる。

「海王」は通常のカッタァにくらべてはるかに重く、推進のためのパワァは、それに比例して必要になる。
潮のしぶきと汗が全身をぬらして、背中や腕の筋肉が、徒労をうったえてくる。

朝から交代で漕ぎ続け、彼らの疲労はピィクにたっしている。

わずかな波で「海王」の船体は、前後に揺れる。

接岸している時は巨大に見える「海王」だが、沖に出れば、まるで細いマッチ棒が波にもてあそばれているかのようだ。

旅を続けてきたものの体は、時間と疲労が芯にまで染みとおり、刻みこまれ、あちこちが傷つき、ひび割れ、彼らが経験した苦難の濃密さを知ることができる。 
イカダにくくりつけられた石棺の、ピンク色がかった岩肌は、潮にぬれて暗く、自身の行く末を不安げに見守り、すべてを漕ぎ手たちにたくしているようにも思えた。


港は眼の前だ。寄港地を前にして、オォルをにぎる手にも、力と安堵がわいてくる。

港の堤防をゆっくりと回りこむと、岸壁に無数の人々が待ちわびている。石棺をひいた古代船をひと目見ようと集まってきた人々だ。

これまでに見たこともない古代服を着こんだ、異様ないでたちの若者たちが懸命に漕ぐ古代船とイカダに、見る者の興奮は高まり、あちこちで歓声があがる。

岸壁に近づくと、船はオォルを立て、惰性で静かに進む。

ロォプが投げ上げられ、艇をぶつけないよう、陸と海からコントロォルしつつ慎重に接岸していった。


当時もこんな情景だったのだろうか?

もちろんそのころは、コンクリィトで固められた岸壁などはないから、砂浜などへの係留だったと思われる。

蓋(きぬがさ)や威杖を立てて湾内に入ってくる、大王の威儀と権力を代弁するその船の威容を、人々は遠巻きにして、あるいは岬の上から、あるいは磯の向こう側から、興奮と畏怖に満ちた眼で見ていたことだろう。


1500年前の情景を想像してみよう。今、僕たちが目の当たりにしているものと、同じ“力”を。


石工たちは、馬門の山にわけいって、石棺にするための大きな岩を選ぶ。

大王が眠る棺だから、できるだけ不純物の少ない、美しい岩が吟味されたのだろう。

人が死ぬと、その遺骸に赤色の顔料をふりかける風習が、古来より世界各地にのこっている。人々にとってどのような意義を持っていたか、今となってはうかがうすべもないが、おそらく鎮魂、そして死んだ者の再生を恐れての、呪術的な意味合いがあったのだろう。同様に、死者の膝を曲げて、立ち上がらないようにして埋葬する例が、やはり世界中にある。

“朱”という色が、当時の人々にとって、神秘的な、マジカルな意味を持っていたことが、うかがえる。大王のうち何名かが、自分の棺として、他の石よりも赤に近いピンク色の馬門石を選択したのも、そのような意識があったからではないだろうか?


石工によって切り出された岩は、大勢の人々の手で、海の近くに引かれていく。当時は舗装された道路などはない。

海の近くに到達した岩は、石工が棺の形に加工する。少しでも軽くして、運搬の労力をはぶくためだ(もしかしたら、石切り場付近で加工されたかもしれないが)。

ただし、きちんと加工しすぎても、運搬や航海中に欠けることも考えられるので、おそらく蓋と身に分け、中をくりぬき、だいたいの形に整えるぐらいだったのではないだろうか?実際、修羅に乗せて引っ張る実験をした時、急に引っ張ったために、角のあちこちが欠けた。


次に船だ。今回の実験では「海王」がイカダに乗った石棺を曳航しているが、可能性はまだ他にもある。もっと巨大な船に、直接乗せていたのかもしれない。何艘もの小さい丸木舟のようなもので、引いたのかもしれない。船は櫂だけか?ひょっとしたら帆があって、風も利用したのかもしれない。可能性は無限だ。

そして、できたイカダに石棺を積みこむ作業。干潮の時に砂浜まで石棺を運び、その下を大きく掘り、満潮時にイカダを石棺の下に漕ぎいれる方法、やぐらを組んで、持ち上げた可能性も考えられる。


漕ぎ手はどのような形で調達されたのだろうか?

徴用か?ひょっとしたら充分な給金を与えられた、現代で云えば、公共工事のようなものか?

また出港した船は、航路のあちこちで停泊する。沿岸部各地の人々は、その受け入れをしなければいけない。おそらく畿内の強大な勢力は、各地の豪族たちに命じて、棺を運ぶ船団のために便宜をはかるように命じたのだろう。

入港場所・船団員の宿泊・食事・物資の補給・水先案内、もしかしたら修理や、嵐にそなえる必要もあった。現代と同じだ。用意された宿舎に泊まり、船団員は空を読み、潮を待ち、次の航海に備える。

嵐がきたら、船を陸揚げして固定し、何日でも待つ。時間はあるのだ。大切なことは、この棺を無事大王の墳墓まで運んでいくことだ。だから冬の有明海や玄界灘は、多分とおらなかっただろう。ひょっとしたら1年ぐらいの時間をかけて、ゆっくりと運んでいったかもしれない。


船が畿内に到着したら、今度は反対の手順でイカダから石棺を降ろし、修羅で引いて、はるばる内陸の大王の墳墓まで運んでいく。


石棺の運搬は、ある意味大王の権力を誇示するための、デモンストレェションだったと考えられる。安全な航路の整備とその証明、まだ各地に根強い勢力を持つ豪族たちが、畿内の勢力に服従していることを示すため、この計画は必要以上の賑々しさで、おこなわれたかもしれない。


やがて巨大な権力を持ち、人々の上に君臨していた大王は老い、死をむかえる。

死は万人のもとに、平等に訪れる。大王とはいえその理から逃れることはできない。

その遺骸は、生前使っていた武器やアクセサリィ、威儀を象徴する飾りなどといっしょに、遠い九州から運ばれてきた石棺に納められ、大王のもとに黄泉比良坂の先での、永劫の眠りが訪れる。

追悼と継承の儀式が終了し、生前、大王であったものは“みたま”となる・・・


1人の人間を安置するための、ひとつの棺が使われるために、簡単に想像しても、これだけの工程がある。

そしてそれにたずさわる人々は、計画を立案する者、監督する者、専門の石工、船大工、修羅を引く者、船を扱ぐ者、舵をとる者、寄港地で世話をする者・・・数えきれないだろう。


数字だけを考えてみれば、わずか7トンほどの石を、九州から畿内に運んでいくだけのことだ。

現代人である僕たちからみれば、取るに足らない容易な仕事量だ。

しかし1500年前の過去を現代によみがえらせた時、それはもう単純な数字ではない。


この実験航海の本当の意義は、7トンという巨大な物体を、ただ1人の人物のために運んでいく“力”。

無数の人々の時間と労力を縛りあげ、たったひとつのことへ従事させていく“権力”と呼んでいいものの現象。

その“力学”の“構造”の再現、これだけのことを、なしとげる、その“力”の検証こそが、この実験の眼目であり、僕たちがこれから、本当に求めなければならないものなのだ。

“権力”と呼ばれ、僕たちの祖先の頭上におおいかぶさっていたその“力”は、どのような性状であり、どのように輝き、彼らを縛り、制限し、あるいは庇護し、世界を満たしていたのだろう?

その“力”を想い、僕は身震いをする。


出発した時は、アブラゼミの声がハァバァに大きく響いていたが、今ではツクツクホウシとヒグラシが鳴いている。

そう、僕たちの世界で一番暑い夏は、何もかもを燃えつくすようにして、今終わりをむかえつつあるのだ。

2005年8月26日の夕方・・・

熊本の宇土のハァバァを出航してから、34日目。

「海王」に曳航された石棺は、長い航海を終えて、ようやく大阪の港に到着した。



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玄番真紀子著 「山もりのババたち 脱ダム村の贈り物」

徳島県の山奥に、木頭村という小さな村があります。

70年代に村の中にダム建設の計画が持ち上がり、村人は30年にわたって闘い、

つい数年前、やっと建設中止を勝ちとりました。しかし建設は中止になっても、ダム問題はのこりました。

国や県は建設に反対した村に対し、あからさまな圧力をかけてきたのです。


「脱ダム」ってサブタイトルがついてるので、

「わッ!こりゃ、公共工事のネタかよ。何か最近、こんなのばっかで、ちょっと食傷気味なんだよなー」

と身構えるヒトもいるかもしれませんが、肩肘はらずに、すいすい読めます。

内容はダム闘争のことは少し触れるだけで、ダム否決後の村長選や知事選で、

村のババたち(失礼!)が勝手連を組織して、闘ったことが3割。

後は山のババたちの生活を、移り住んだ筆者が、その中に交わりながら体感したことです。

だから登場人物の99パーセントは、ジジとババです。


野菜を育てること、その野菜で漬物を漬けること。柚をしぼって柚子酢を作ること。

茶っ葉をつんで、自分たちで釜で炒って、お日さまに干すこと。炭焼きのこと。

灰汁を使って、山菜のアクをぬいたり、コンニャクを作ったりすること。

鮎掛や水車、材木を川下まで流す一本乗りのことなど、木頭村のきれいな清流にまつわるエピソォド。

カヤ刈りのこと。マキでわかしたお風呂のこと。野菜を山のサルたちに食べられてしまうこと。

山のジジやババは、当たり前のようにそんな生活をしています。

ジジやババは、山の中ではスゥパァジジとスゥパァババです。


ダム建設も、その後の問題も、村を引き裂きました。

親子が、夫婦が、お隣が、親戚が、賛成する者、反対する者。

小さな村では、皆で助け合って生きていかなけりゃならないんです。

それが壊されそうになったんです。そのままじゃ生活していけないから。

だから反対したんです。

そこには、環境に配慮した学者先生や専門家などの知識人には絶対わからない、

当たり前の生活を送るための、当たり前の言い分があったんです。

土に根を張った理屈だったのです。


最近、環境や自然に対する関心はずいぶんと高く、それを護っていこうとする動きは、各地であります。

しかし、その土地の風土も、生活の手段・風習・技術も見ず、ただ景観や物質だけを、

「環境だ、自然だ」「護ろう、護ろう」なんてもちあげても、

そんな軽薄な、浮ついたそんな言葉には、誰も感動しません。


田舎の年寄りが(もちろんそれだけじゃないが)ダム建設を止めたと、誰もが驚きます。

でもホントは、高尚に聞こえる理屈よりも、

野菜や柚のできぐあいを見るババの眼の方が、ずっとしっかりしてるってこと。
そんなジジやババの、太い根っこの張った感覚、ボクもほしいです。


評価:★★★★★


良書!アタマをやわらかくしたまま読めます。イラストも交えながら、楽しい1冊になってます。

楽しい本です。こんな本、子どもたちに読ませたいです。

猫の恩返しでしょうか?

最近どうやら、ウチの猫の一匹が、ボケはじめたようです。
トッシン(命名の理由:突進してくるから)というんですが、

ざっと10年前、ウチに迷いこんできた時から、成猫だったから、もう結構な年だと思うんですよ。


さて、どんな具合にボケてるかといいいますと・・・軍手や足袋をくわえて帰ってくるんです。
以前はヘビやカエルやコウモリだったんですが、
まるでそいつらをとっ捕まえたように、自慢そうに持って帰るんです。夜中に。

「うんぎゃー あんぎゃー ほんぎゃー(捕まえたー 見てー 誉めてー!)!」
ってカンジで、嬉しそうなんですよ。飼ってくれてるボクたちへの、猫の恩返しでしょうか?


だもんで、ウチには今、かつてはどこかの家にあったと思われる、
軍手が4組(イボつき1組・ゴム軍手1組・フツーの2組)、

足袋1組(片っぽは底のゴムがはげてる)、
タオル(というか、ゾーキン4枚)、

・・・荒縄?(ヘビと間違えたのか?)2本があります。
少しずつ、片っぽずつ、増えていってます。当分、野良仕事には困りません・・・


ええと・・・ボクが盗んだわけじゃ、ないですからね。ご近所さん。猫ですよ、猫。
・・・今度、こっそり捨ててこよう。 


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森博嗣著 「Θは遊んでくれたよ」

断言せざるをえません。森博嗣の“小説力”は、完全に落ちています。


何より問題なのは、このミステリが描かれた必然性がないことです。

探偵の存在も、不在も、事件も、ただミステリとして、

準備されただけのような、希薄な感じです。

(もともと人の生き死にをもてあそぶ、ミステリの存在自体が、

不遜で必然性を持たないものですが、それを云っちゃぁ、おしまいよ)


“森ミステリ”と銘打たれた読み物を、この世に量産するために、

誕生させられたのであれば、すごく残念なことです。


「すべてがFになる」で、ボクはミステリの新たな地平をみました。

現在の彼のミステリは、あのころにくらべて、文章力・構成力格段にあがっていますが

“小説”としては、デビュゥ当初の1・2作品には、遠く及びません。

ボクが夢見たミステリの新世紀は、彼の“小説力”の衰退とともに、遠ざかってしまいました。

残念の一言!


覚悟を決めるべきでしょうか。この作品を以って、森博嗣と訣別すべきかどうか。


評価:★☆☆☆☆

・・・と云いつつ、また買っちゃたりして。

船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な

2005年7月24日、日曜日。午前7時・・・

夏の朝は、そのひとしずくひとしずくが、蜜に似て豊饒で、価値のあるものだ。


その日のハァバァは、何か抑えがたいものを内包しているような空気だった。どきどきわくわくが、時間のひだの中に息をころして隠れていて、気がつかれないように僕たちがそっと覗きこんでも、それは信じられないくらいすばやく、また別のところへ身をひそめる。その有様は、眼には見えない、美しく輝く蜥蜴のようなものだ。


宇土のハァバァは熊本市のすぐ南、天草へむかってまっすぐ西にのびる宇土半島に位置する。北に島原湾をのぞみ、天気のよい日は、対岸の島原がよく見える。

「大王のひつぎ」を近畿にまで運んでいこうとする実験航海は、今日このハァバァからスタァトする。


出航前のあわただしさが、ハァバァに充満している。

古代船「海王」は、カッタァ方式で漕ぐので、漕ぎ手は下関水産大学をはじめ、西日本各地の大学の端艇部を中心に編成されている。彼らは浮き桟橋に係留された船に、飲み水やクゥラァボックスを次々と積みこみ、艤装を確認し、トランシィバァの周波数の最終チェックをする。水先案内船の(プロ)ぺラに網の切れ端がからまり、慌てて潜水士が海中にもぐる。


船や台船の設計・石棺の設計・曳航の方法・寄港地の選定。すべてが計画どおりにいったわけではない。いや、むしろ捨てていったものの方が多い。その中で捨てられずにのこったもの、可能性を強く秘めたものがのこり、次の段階に移された。


人々は古代船「海王」に、石棺を載せた2台の台船に群がり、触れる。堅く、つまった木肌。まだ動かないその船には、無限の力が秘められている。人々はその力を感じとる。船が航海を成し遂げようとする、身震いをするような力だ。

その前で記念写真を撮る人もいる。大勢の人たちが歩くため、巨大な浮き桟橋が時おり、かすかに揺れる。

海の中では10センチほどの白い小魚が、しなやかに泳いでいる。潮の匂いが強い。


8時45分。

浮き桟橋から少しはなれたスロォプで、出港式がはじまった。実行委員会代表小田先生、石棺を載せて引く修羅やイカダを作った、実験の母体である熊本県青年塾の代表、全面的にバックアップした讀賣新聞社、それに市長や知事が挨拶をおこなう。

作務衣に似たクリィム色の古代着の腰と脛を、ワインレッドの紐でしばった漕ぎ手たちは、皆たくましく日に焼け、若々しい肌にうっすらと汗をかいて、式典会場に整列をしている。やがて彼らは一足先にその場を離れ、いよいよ「海王」を漕ぎ出す準備をはじめる。


「海王」に漕ぎ手と艇指揮が、次々と乗りこんでいく。

漕ぎ手は自分が座る位置に、持ってきた毛布をしく。体全体を使ってオォルを漕ぐので、こうして毛布をあてておこないと、尻の皮が剥け、ひどい目にあう。重い木製のオォルをあやつる彼らの指のつけねは、木肌のように厚く堅い。

足元には外から見えないように、大量のミネラルウォタァやポカリスェットなどが置かれている。炎天下、数時間にわたって漕ぐ彼らにとって、何より貴重なものだ。

全員が乗りこみ、今や艇と陸を繋ぎとめているのは、1本のシィトだけだった。


もやいが解かれる。

「右舷、前へー!」艇指揮の号令に合わせて右舷の9本のオォルが、一斉に海面に。右舷の全員が腰をあげ、体重をかけて、重いオォルを漕ぐ。若者たちの首筋が真っ赤に染まり、何トンもある巨大な古代船が、徐々に浮き桟橋を離れていく。「左舷、後へー!」今度は左舷の9本のオォルが、逆方向に海水をかく。ぐうッと、「海王」はスタァン(艇尾)をふるような形で、さらに離れていく。

いったん動き出した艇は、意外にスムゥスだ。その代わり、ブレェキがないから、後は漕ぐことによって艇をコントロォルするしかない。すべては艇指揮の技量にかかっている。


浮き桟橋をぐるっと廻り、固定されている台船に、スタァンから近づいていく。台船には石棺の蓋が載っている。周囲を固定し、さらに動かないように藁をかませている。台船ももやいを解くと、「海王」にシィトを放る。舵取りが急いで「海王」のスタァンに、もやう。

再度、今度は両舷合わせて18本のオォルが、ゆっくりと水をかく。シィトが素敵に緊張し、ぴいんと張りわたり、台船が「海王」に引っ張られて、ゆっくりと動き出した。

2度・3度とオォルが美しく回転するたびに、少しずつ「海王」と台船の速度はあがっていく。


ほうッと僕は大きく息をはいた。掌をいつの間にか、強く握りしめていたらしい。

オォルのみによる「海王」の推進力が、はたして数トンもある石棺と台船を、引っ張っていけるものだろうか?たとえ可能でも、その速度は蝸牛のようにのろのろしたもので、とうてい目的地にたどりつけるようなものではないのではないか?

ずっと懸念していたことだ。これまで何度も同重量のものを引っ張って、曳航実験を重ねてきたから、充分可能なことだとはわかっていたが、実際にこの眼で見るまでは、やはり不安だった。

だけどゆっくりとだが、進んでいる。確かに進んでいる。もちろん動力船ほどではないが、充分な力強さと安定と速度がその走行にはあった。


「海王」は100メートルほど離れた湾内で停止し、漕ぎ手たちは、閲兵式の兵隊のようにオォルをきりりと立て、出航の時を待つ。


9時40分。

完全に眼をさました太陽が輝きをまし、充分に熱せられた空気が、海の上をふきわたる熱く乾いた風となる。

音を立てて、花火が打ちあがり、人々の歓声があがる。出航を鼓舞するための重厚な雨乞い太鼓が、湾内に響きわたる。出航の時間だ。

18本のオォルが、鳥が翼を広げるように水平に構えられる。しばしの静止。そして、それらは一斉に弧を描いて、大きく、力強く海水をかく。しぶきがあがる。狂いのない、機械のように正確なストロォクだ。「海王」が、そして台船が、徐々に進みはじめる。古代服を身にまとった漕ぎ手たちの上半身が、前に、後ろに、前にと移動し、体全体を使って漕いでいく。

「海王」と台船の周りを、水先案内や漁船、クルゥザァ、カヌゥたちがとりかこんでいる。そのまま、湾を出るまで伴走するのだ。


拍手と歓声と太鼓の響きが、空気を震わせる。熱い。空気も風も太陽も、何もかもがひりひりするほど熱く、燃えさかるようだった。高揚感に後押しされるように「海王」は進んでいく。

古代の船出も、こんな高揚感につつまれたものだったのだろうか?
巨大な石棺が、イカダあるいは台船に載せられて、船に曳航されて漕ぎだす。大王という強大な権力を持った者が眠る予定のひつぎが、この九州の地から旅立つ。行き先は遠い畿内だ。当時の人々にとっては、海外に行くのと同じくらいの感覚だろう。

1500年の時をへだてて、今再び、僕たちの眼の前にある力は、巨大な棺を東の地へと運んでいく。


「大王のひつぎ実験航海」のホゥムペェジです。

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http://www15.ocn.ne.jp/~daioh/index.htm