村田喜代子著 『故郷のわが家』
舞台は大分県の久住高原。
生まれ育った家にもどってきた笑子さんは、やっと65歳。
もう誰も住むヒトのいないこの家を整理するために、故郷へもどってきました。
近くに住むヒトたちとゆったりと交わり、やわやわとすぎていく時間ですが、やがて笑子さんに、故郷との別れが近づいてきます。
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さてさて、お話の内容ですが、上に書いたようにた~だそれだけ。
この笑子さんてヒト、泰然自若とした、まぁナンだ、そーゆーオバアチャン(今どき、65歳がオバアチャンって云うのが正しいのかどうか……)。
寝酒をちびちびやりつつ、深夜ラヂヲの音楽番組で流れる歌に(中島みゆきの歌みたいなフレェズだ……)、想いをはせ、夢とうつつの狭間をのんびりと逍遥する。
そしてふとした旅の想い出、昔のわだかまり、今はもう逢うこともない友人たちの顔を想い描く。
たまにやってくる家の買い手たちにつきあい、古い箪笥に仕舞われた着物をほろほろと処分をし、古い新聞の投稿主が気になり、遠く赤城山の老婆の連絡先を調べて電話し(この婆ちゃんもタダモノではない。メル友が日本各地にいるのだ)、おいしい烏骨鶏の卵を買いにてくてく歩く。
わかってんですよね。
笑子さんが生まれたこの家は、もう自分が去っていくべき場所だってコト。
だから日々の暮らしに執着を持たず、未練を持たず、想い出だけを整理していく。
彼女がみる不思議な夢は、いろんな形で笑子さんの過去と未来とに語りかけてくる。
まるで彼女の人生の終盤に贈られたご褒美のように。
コレは別れの物語。
すっきりと、丁寧に、大きなモノを手放して身軽なっていく“ヒト”のあり方のひとつを、夢想のふわふわ感といっしょに供した物語。
ごちそうさまです、はい。
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評価:★★★★★
実に、実によい作品。
村田オバサマの傑作。
このヒト、九州の地方文壇では有名なヒトですが、やはりよい、すごくよい。
こんな風に、九州のヒトコマヒトコマを丁寧に切り取った作品が多いです。
なじみのある地名が多く出てくるのも、身近なカンジ。
何だかんだ云って、このヒトの書評は3冊目だ。