新田次郎著 『孤高の人』 | 逍遥録 -衒学城奇譚-

新田次郎著 『孤高の人』

昭和初期、日本アルプスの山々をひとりで踏破した男。

“単独行の加藤文太郎”

他者とまじわれない強烈な個性と、独自の価値観を持ち、こと登山に関しては天才的な発想でもって、冬山を踏破していく。

彼は山と、生涯単独行の盟約を結んだのだった。

しかし家庭を持ち、山行を捨てようとし、初めて友人とパァティを組んだ時、ついに帰らぬヒトとなった。


* * *


物語中、たびたび問われるのは“孤”です。

ソレは常にどこにでも存在し、決して分かちがたい存在です。

立場がどうこうじゃなくって、意識の問題。

仮にハナシをしても、ヒトの中にいても、彼はどうしてもまじわるコトができない。

コレは彼にどこか欠陥があるとか、周囲が彼を拒んだとかじゃなくって、結局自分の中心に“自分”が存在してるってコトを、心底カンジとっていたからじゃないかなと思います。

なんかさ、まじわりを求められるってコトは、そちら側に同化するコトを強要されてるような気がすんだよね。

もちろん意識的じゃないだろうし、ソレが世の中のつきあいってもんだろうけどさ。

求められても、還せないんだよね。


でもひとりでいるってコトは、カッコよいコトじゃないし、楽じゃない。

常に自分が自分の主だし、その責任は重い。

普通ならきっと、その重さには耐えることができないのだと思います。

逆に云えば、ソレに耐えるコトができるモノだけが、ホントに“孤高”を抱いて生きていけるのかなぁと……思う。


自分もそうとうヒトとはまじわれない性分……だと思うし、どっかのアホ上司(もどき)にそんなコトも云われた。

社交的じゃない。

だからわかる、わかるような気がするってだけだけど。

ハナシをすればするほど、関係を持とうとすればするほど、あぁ自分は重なりあえないなぁ……て、ソレでほっとするワケよ。

ただ現実としては居心地はよくない……だから、できる限りはヒトとまじわった方がいいよって……何云ってんだ、自分。


結局……文太郎は山で死ぬ。

山との盟約を破り、見捨ててはいられない後輩の助力となるために、自分の主であるコトを放棄して、吹雪の北鎌尾根に分け入って。

山は彼を見捨てたのでしょうか?

しかし彼は、最後の瞬間、家族の元へ無事帰還しました。

こんなに疲れたコトはないと云って、ようやくゆっくり眠れる我が家に帰ってきたと云って。


* * *


評価:★★★★★


こういう骨太の小説は、読んでて力が入る。

おそらくぱっと見るとこれは登山小説のように思えますが、ボクには山を媒体にした人間の根源の奥深い部分に分け入った物語にカンジられます。

現在「週刊ヤングジャンプ」で、同名の漫画で連載中。

作画は坂本眞一だったっけ。

舞台を現代に持ってきて。